スティーブ・ジョブスが残した言葉
9月5日、アップルのスティーブ・ジョブスが亡くなった。筆者はウインドウズのユーザーであるが、ジョブスの生き様について、2005年の有名なスタン フォード大学卒業式での講演は忘れられない。ちょうどそのころ、弟の連れ合いがガンで亡くなった。その6年前に弟が南アフリカで死んでいたから、父と母を 失った高校2年生が一人残された。僕はその高校生の甥にこの講演内容をプリントして贈った。
本人はその意味をほとんど理解しなかったかもしれない。親がいても生みの親でない。そんな過酷は人生を送りながらも人々に愛される製品を次々と世に送り出している人もいることを知ってほしかったのだ。
ジョブスは生みの親と育ての親が違っていたことを初めて知った。育ての親は労働者階級だったが、息子の大学教育のために収入の大半をつぎ込んでくれた。 ところが大学に通ううちに、自身で大学で学ぶ意味を見失い、中途退学した。多分、育ての親にこれ以上の負担をさせたくなかったのだろうと思った。
ほとんどの人が当たり前に生きる人生はジョブスにとっては「当たり前」ではなかった。
またアップルの製品のデザインの陰にレタリングの技術があったことも知った。デザインが先にあるという開発は 初期のホンダの製品づくりと重なる。しかも本田宗一郎の経営を財務面から支えた藤沢武夫がある日会社を辞めるといった時、宗一郎は「僕も辞めるよ」といっ て辞めてしまった逸話は有名である。筆者はずっとホンダファンだった。そしてしばらくはホンダらしさを維持していたが、やがて企業規模が大きくなってホン ダの車はトヨタと変わらなくなった。
創業者というものは偉大である。その志を後継者が引き継ぐことはほとんど不可能に近い。アップルはパソコンを個人のものにしたという点で時代の変革者だったが、ウインドウズを発売したビル・ゲイツにパソコンソフト市場を席巻されてしまった。
ipod、ipadで新たな境地を切り開き、アップル・コンピューターは再び成長路線に乗った。しかしジョブスが本当に喜んでいたかどうかは分からな い。そんな気がする。ベンチャーであれば、やりたいことをやって社会の評価を得るという喜びがあるが、大企業となったアップルとなると「経営」が大きくの しかかる。その重圧ははてしなく重かったのではないかと思う。
本田宗一郎のように早めに経営の前線を引退していれば、もっと長く生きられたのではないかと思い、残念だ。(伴 武澄)