2011年09月27日(火)ベンガルこども新聞東京支局長 宝田 時雄
 ベンガルの友人シャーカーがこの春からダッカに戻ってベンガル子ども新聞を発行している。シャーカーは長く日本に住み日本の歴史にも精通し、なんとか日本の経験を母国バングラデシュに伝えたいと考えてきた。結論として子どもたちのために新聞をつくろうと決めた。記事のネタの多くは日本である。東京支局長の宝田時雄氏が最近、津軽の話をベンガルこども新聞に掲載した。なかなかいい話なので転載したい。

 学ぶべきはこどもの心【ベンガルこども新聞】
 青森県弘前市は日本の北方に位置する歴史のある町です。とくにリン
ゴが有名で農業の多くはりンゴの生産に従事しています。また、歴史的にも日本を代表する人たちが多く、中国の近代化革命に参加した人々や、ブラジルに渡って柔術を広めた人もおります。つまり、人や自然に役立つ人づくりとして、教育に熱心な地域でもあります。
 むかしは、一年の3分の1は雪のある生活で、多くの人たちが都会に働きに行きました。そのために我慢強い性格がやしなわれましたが、それでも教育においては静かで落ち着いた環境のなか、立派な若者が育っています。だだ、都会のように興味ある感情に働きかけるような繁華街もなく、また若者が流行などを表現できないため、都市の大学に行っても、生まれた所には戻ってこないこともあります。
 その一つの原因は、卒業しても働く産業が少ないからです。それでも子供たちは生まれたところを大切にしようと、多くの考えを大人たちに提案します。こどもたちにとって、今まではおとなたちの考えていることや行動などに多くの疑問があることを素直に発言できるパブリックな場所がなかったために、社会にとっても、子供たちなりの有益な考えが届きませんでした。
 一つの理由には、おとなたちの側に子供の素直な疑問に応える方法もなかったのです。また、おとな側の都合にも越えなければならない問題もありましたそれは、おとなたちの集まりや社会を守る囲いのようなものでした。さえぎることの無いこどもの素直な疑問、おとなの囲いを守るルール、それが無条件で向き合わなかった、あるいは気がつかなかったおとなの側に、多くの理由がありました。
 たとえば、動物や自然は大切にしなくてはならないと教えます、しかしかわいい動物を、「おいしい」と食べる自分たち人間への疑問には、なかなか答えることもできないし、あるいは当たり前になって、考えもしなくなったことへの疑問、そんな素直なこどもの疑問を話し合うことなど無理だと避けてきたのです。それは、考えの違うおとなたちが仲良く暮らそうと作ったルールと、学校で習った大切なルールが混じり合わないことへの疑問が、子供たちの不満として自然に起きることでした。おとなになっても、おとな社会のルールを理解できる人、あるいは、うまく理解できない人は、そこから新しい悩みが生まれます。
 弘前のこども議会は、おとな社会の複雑の仕組みやルールのなかで、どのようにして大勢の人たちに役立つ働きができるか、また、良いことを考えても、どのようにして違った方法やまとめ方をするのか、それはおとな社会への参加トレーニングとしても役立てようと考えた、素晴らしい試みでもあります。こどもたちの素直な観察から生まれる疑問や大人たちへの提案は、政治をあずかる責任者や議員、そして先生たちに爽やかな声として響きます。
 また欲望に汚れていない心の叫びは、おとなたちに真剣さと反省の心を想い起きせます。
 その意味では、ベンガルのこども新聞も同じような姿で、おとなたちに影響を与えているとおもいます。
 こども議会はおとなたちにとって、こどもから学ぶ機会です。加えて、おとなたちが忘れがちな、正しい目標を立て、よりよい方法を遭択して行動する、あるいはルールある話し合いのために、大切な学びの機会として役立つことを期待されています。

 ベンガルこども新聞

 宝田さんにメール greendoor@tbm.t-com.ne.jp