途絶えたファテマちゃんの消

 日本人ひとりひとりの支援が、アフガンの一人の少女に”新たな生命”を吹き込みました!去年8月、皆さんの応援のおかげで、頭部へ貫入した銃弾の摘出手術が成功し、無事に故国アフガニスタンへ帰国を果たしたファテマちゃん。あれから1年が経ちました。近況のご報告をさせていただきます。
 2004年9月帰国。故国アフガンでも盛大に迎えられてから、もう1年が過ぎました。あのときは、日本中の皆さんから応援をいただき本当にありがとうございました。この1年間、私達(NPOアジア戦災孤児救済センター、現地AWOA戦災孤児のためのストレス・クリニック)は「良かった。良かった」と顔で笑いながら、心の中では「本当に大丈夫?もしも、突然に悪くなってしまったら・・・?」と不安で一杯でした。
 その不安も、1カ月、2カ月、3カ月とファテマちゃんが元気でストレスクリニックへ来院して、笑顔で学校の話や、友達と楽しく遊んだ話、さらには家族と生活する数々のエピソードを聞くうちに、だんだんと薄らいでいき、6カ月を過ぎた頃にはすっかりなくなりました。
「もう大丈夫!本当に良かった。やっぱり日本の医療技術はすごい。近藤先生、原先生ありがとうございます!」「応援して下さった日本の皆さん本当にありがとうございました!」
 来日から帰国までNHKをはじめ各TVが、日本人の善意がいかにして一人のアフガン少女に”新たな生命”を吹き込み、無事に祖国へ送り届けたかを報道しました。また、新聞各紙もこれを取り上げ、小泉総理大臣が花束を抱えてお見舞いにこられたときは、ファテマちゃんの母親はもとより、支援の人たちの喜びもピークに達しました。
小泉首相、心から感謝申し上げます!
 ”退学”になった小学校へ7年ぶりの再入学でファテマちゃんの”生命”が蘇りました。小学校は、今から7年前に”退学”になった悲しい、悔しい思い出の場所です。”絶望”を初めて味わったいまわしい場所です。左頭部に残された銃弾のために、学校生活を激しい痛みが断念させ、絶望と激痛と死への不安と向き合う毎日でした。その苦痛から逃れるために、わめき、あばれ・・・・・。まるで「悪夢」のようでした。でも今は再入学をはたし、心から笑い、友達と遊び、学ぶ日々を謳歌できるように生まれ変わり、今は喜びと希望で一杯です。
「アリガトウ ジャパン!」

 それからのファテマちゃん
 2008年10月、AWOAストレス/クリニック事務長だったサヒーさんの所在が不明になりました。唯一の頼りのモバイルも不通になりました。不安が襲います。アフガニスタン情報の窓口がなくなってしまったのです。それまで、サヒーさんからの定期的なアフガン通信で理解できていた孤児たちの消息も一瞬にして消えてしまったのです。

 国内難民になったファテマファミリー?!
 ファテマちゃんが「元気で生活している」「この頃少し頭痛を訴えている」「お母さんと静かに暮らしている」これらの貴重な情報も、2008年5月までは得られていました。
 しかし、2008年アフガニスタン現地NGO、AWOAの閉鎖・解散、サヒーさん(ストレスクリニック事務長)の行方不明と同時に、ファテマちゃんファミリーの消息も消えてしまいました。
 セーブザチルドレン・アフガニスタン事務所から、
 ファテマちゃんニュースが!
 2010年9月、日本のNGOセーブザチルドレンアフガン事務所の園田さんから救済センター宛に情報が入ります。ファテマちゃんファミリーの一員が事務所スタッフをしていて、彼女の消息を知っているとのことです。「頭痛で苦しんでいる」「治療方法を教えてほしい」
 驚きと嬉しさ!に心を躍らせながら、ニュースレターの事実確認を済ませ、丁重にお礼を書いた上で、対処の仕方をメールに書き込んだ。だが・・・。
 その返事はまだ来ていません。
 ファテマちゃんが現在どうしているのか?消息をストレートに尋ねるメールを今、書いているところです。「ファテマちゃんファミリーの一員」情報が本当であってほしい・・・祈るような気持ちです。