21世紀には愛国が非国民になる
5年前に書いたコラムを読み返して、平和を考える上で我ながら的を射ているなと振り返った。当時は中国各地で反日デモが起きて日中に大きな亀裂が入っていた。どうしてこうなるのか考えたコラムで未発表である。ぜひみなさんに読んでもらいたい。(伴 武澄)
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最近、司馬遼太郎の『菜の花の沖』全6巻を読み終えた。200年前、淡路の寒村の農民だった高田屋嘉平衛が北前船に乗って当時、蝦夷といった北海道の航路を開拓し、南下するロシアとの出会いを物語にしている。
その中で「愛国」について嘉平衛に語らせる場面が随所にある。
「愛郷心や愛国心は、村民であり国民である者のだれもがもっている自然の感情である。その感情は揮発油のように可燃性の高いもので、平素は眠っている。それに対してことさら火をつけようと扇動するひとびとは国を危うくする」
中国での反日デモ以来、多くの友人に「どう考えるか」メールを送った。たくさんの返事をもらった。萬晩報のコラムに対する感想も多くあった。その中で簑島さんという方からのメールで次のような一節があった。
「以前であれば、このようなことが発生するたびに急いで中国に謝罪するんだという半ば焦りの感情が湧き上がってきましたが、逆に中国や韓国に対してむしろ憎しみに近い感情が湧き上がってくるようです」
少なからぬ日本人がいま同じような感情を抱いているのではないかと思う。多くの国の人々は生まれた国に対する愛着があり誇りがある。「国を守る気概」などというものはそうした愛国心なくしては生まれ得ない。
幕末の日本では「尊王攘夷」という表現で愛国心が語られた。語られたどころではない。行動に移した。長州藩による外国船砲撃や生麦事件としてその熱情は外に向けられた。しかし多くのエネルギーは日本人同士の争いに費やされた。開国派が一時期、尊王攘夷派の標的にされ、「開国」派は「売国奴」と同異義語ともなった。
売国奴は非国民ともなる。ひとたび「愛国」が叫ばれると集団がヒステリックになる。なぜなら愛国を声高に叫ぶ集団が国民一人ひとりに踏み絵を強要するからである。だれも売国奴や非国民と呼ばれたくはない。「村八分」になりたくない人々もまた、まもなく「愛国」を叫ぶようになる。愛国の集団感染である。
太平洋戦争中の日本もそうだったはずだ。戦争反対を唱えるだけで非国民となった。大学紛争時の学園の雰囲気もそうだったし、文化大革命の惨劇もそうした集団ヒステリーが引き起こしたものに違いない。
司馬遼太郎氏が書く「国を危うくする」とはそういうことだろうと思う。いまの日本にとって危ういと思うのは、中国の反日デモに触発されて、日本が反中国に染まることである。反中国はただちに中国側を刺激して、反日をエスカレートする。それがさらに日本国内の反中国を増幅させるのだからやりきれない。
筆者は東京外国語大学の中国語学科を卒業した。入学したのは1972年だから日中が国交を結んだ年である。大学紛争の余韻もまだくすぶっていた。中国語の多くの教科書は中国から輸入されたもので日本人は「日本鬼子」と表現されていた。
一番嫌だったのは先輩諸兄がクラスにオルグのやってくることだった。「日中友好を叫ばないものは中国語を学ぶ資格がない」とのお仕着せが続いた。その後、会社に入って「日中友好の翼」という訪中団の一員になったこともある。到るところで語られる「日中友好」という表現にもへきえきした。
中国側はどこへ行っても「悪いのは一部軍国主義者で日本人民に罪はない」といって歓迎してくれた。いまだに理解できないのは中国側のそうした説明を免罪符にして「友好人士」面をする日本人が多かったことだ。
筆者は戦争責任という問題はそんなに簡単なものではないと考えていた。今も考えている。「日中友好」を叫ぶだけで戦争責任が免れるはずがない。国同士の戦争は軍隊による殺し合いであるから双方の軍人に被害が出るのは仕方のないことなのかも知れない。問題は非戦闘員である。
戦争は敵国に攻め込んでいくのだから、戦闘に勝利すると占領地では軍隊は敵に囲まれて日々を送ることになる。占領地での略奪や陵辱はどこの軍隊でも厳禁されているが、これが守られたためしはない。規律の乱れた軍隊ほど始末に負えないものはない。部隊員の行った不祥事の責任は当然、部隊長やその上層部にあるのだが、当事者に責任が逃れられるかというとそうではない。略奪や陵辱を行った兵隊本人にも当然責任はある。
「一部軍国主義者うんぬん」は当時の周恩来首相が言ったものだと記憶しているが、一日本人として筆者は「そんなに簡単なことではないだろう。戦場での責任を一部の指導者たちにだけ押しつけるわけにはいかない」という思いがあった。
当時の友好人士たちは訪中のたびに「中国には泥棒というものがいない」「中国にはハエがいなくなった」などと的外れの中国礼賛を繰り返したのだ。われわれは町で一番のホテルに泊まり、一般の中国人が一生に一度食べられるかどうか分からないほどのごちそうを毎食口にしていたし、訪ねるところといえば模範的人民公社や工場でしかなかった。
中国で外国人のものを盗ろうものなら”絞首刑”ものだったに違いないから、そんなところで泥棒がいるはずもないし、高級ホテルのトイレにハエが飛んでいるはずもなかった。だが広い中国大陸に泥棒が一人もいないはずはないし、北京の公衆便所に入ればふん尿の山にハエがたかっている姿はいくらでもみられたはずである。
筆者は中国を敵視していたわけはない。中国の悠久の歴史を愛したがため中国語科を専攻したのだ。中国側の免罪符論を軽々しくいけ入れ、革命中国を礼賛する日本人を軽蔑したのだった。「友好」さえ唱えれば許されると勘違いする日本人をみていて「こういう人たちは日中間が中が悪くなれば真っ先に中国を嫌いになるのだろう」と思った。
日中間の人の往来が激しくなれば、中国の本当の姿が見えてくる。そうなった時、やがて豊かな日本人が中国人をバカにする時代がやってくる。そう思った。
嘉平衛は「他の国を譏(そし)らないのが上国だ」ともいっている。
「ほとんどの場合そうだが、領土論による国家間の紛争ほど愚劣なものはない。10世紀以来、この争いが測り知れぬほど多量に無用の血を流させて来た」
「ラッコも魚も乱獲すれば、居なくなり〈領土〉の生産的価値はなくなるが、むしろその後におこる〈国家の威信〉の象徴としての〈領土〉の課題のほうが、無形のものだけに深刻であるといっていい」
中国の有名な格言に次のようなものがある。「修身斉家治国平天下」。最近の中国での「愛国」は確かに「治国」の範囲では「無罪」なのかもしれないが、国際社会で生きる「平天下」の観点からは大いに「有罪」であることをしらなければならない。
過去に中国を占領していた日本から「アジアの大義」を言うのはこれまで難しかった。しかし100年前のインドから東のアジアの情勢を振り返れば、誰かがアジアの防波堤にならなければならなかった。当時、日本がロシアと戦わなかったら、ロシアは満州からそのまま南下して朝鮮半島を席巻していたことは間違いない。