先日、財団法人霞山会が都内で主催した「東アジア共同体の多角的検討」というシンポジウムに出席した。日本と中国の学者が東アジア共同体の是非を議論する場であったが、興味深かったのは出席した日本側の発言者はこの構想に「懐疑的」で、中国側に推進論が多かったことである。
 休憩中にタバコ部屋で中国担当だった元大手商社マンに質問した。
「中国語で韓国ウォンは何て言うのですか」
「ハンユアン(韓元)さ」
「元でなく、圓ではないですか」
「圓の簡体字が元だから、元です。ともにユアンと発音が同じです」
「なるほど、中国元ももともとは中国圓ですよね。日本圓は戦後に日本円となった。ということは日本も中国も韓国も”圓圏”ということができませんかね」
「おもしろい発想だ」
「そう、日本は”エン”で、中国は”ユアン”、韓国は”ウォン”。漢字で書けばどれも”圓”となる」
 日本が明治時代に通貨をつくったとき、”圓”を採用した。江戸時代は「両」だった。そもそもが中国の「圓」を使うことになったのは、貿易銀を鋳造するとき、広東省造幣局や福建省造幣局で”圓銀貨”が存在していたからだ。メキシコ銀も多くアジアで流通していた。銀貨の重さと銀の含有量は同じだったから、発行体が違っていても問題なく流通していたのだ。
 ここまで来てなるほどと分かった方は通貨をよく知っている方だと思う。もともとアジアの通貨は”共通”だったのである。東アジア共同体を考える際に多くの日本の論者は、アジアの多様性について言及してきた。筆者は共通性に注目したい。漢字で書いて理解できる文化圏であり、箸を使う文化圏が東アジアなのだとまず定義すれば、分かりやすい。
 西洋の多くの国がギリシャ、ローマ文明を古典として学ぶように、東アジアでは儒学を長く学んできた。明治の元勲たちは漢学の素養のうえに西洋の知識を接ぎ木した。大学を出たわけではないのに、西洋の法制や経済体制を理解した、乃木希典や児玉源太郎も陸軍士官学校を出たはずもないのに、日露戦争で近代戦でロシアを破った。
 韓国の先進国入り(OECD加盟)は10年以上も前のことである。中国経済もばく進中である。日本は元気がないが、まだまだ最先端国であることは間違いない。前の世紀の代わり目に、黄禍論がヨーロッパ大陸と北米大陸で吹き荒れた。きっかけは日露戦争だった。それから100年を経て西洋が一番恐れてきた事態がいま東アジアで出現している。
 筆者はこれを歴史の大転換期であると考えている。日中韓が対立を続けることをやめたとき、その化学反応が起きるのだろう。東アジア共同体構想はまさに大転換を引き起こす発火点であると考えたい。
 英国通貨のポンド紙幣はバンク・オブ・イングランドのほか、スコットランドの3銀行が発行している。通貨単位は同じだが、複数の図柄の紙幣が存在するのである。円、元、ウォンは通貨価値が異なるのですぐに通貨統合は無理であろうが、漢字での表記の統一ぐらいはできそうだ。それぞれ読み方は違っても漢字表記が同じというだけでも夢があるような気がする。(伴 武澄)