共同通信がある汐留の地下街に資生堂の化粧品の巨大なポスターがある。うっとりするような美人がいつも通行人たちに微笑んでいる。いまはマキアージュというファンデーションの広告で、そのキャッチフレーズは「わたしが変わる。世界を変える」。
 バンクーバー冬季オリンピックをテレビ観戦してからずっと気になってきたことがある。冬季オリンピックのハイライトだった女子フィギュアスケートが終わってみると、テレビに映っていた上位の選手のほとんどが東洋人だった。
 金妍児が優勝し、浅田真央が2位になり、3位はカナダのジョアニー・ロシェットだったが、4位は日系アメリカ人の長洲未来、5位が安藤美姫だった。たまたまかもしれない。東洋女性の美しい氷上の舞が世界にどう映ったかが気にかかった。つまり、強さと美しさを世界の人々の眼に焼き付けたのではないかと思っている。
 金妍児も浅田真央も東洋人としては相当にきれいな部類だ。何が言いたいのか。つまり美のスタンダードが西洋から東洋に遷り変わっていくのではないかということなのだ。
 40年も前のことである。東京外語大で東洋思想史を教えていた金岡秀友という東洋大学のおもしろい先生がいた。いつも漫才のような授業で、教室はいつも満員だった。
 金岡先生がいうには、テレビや雑誌の広告で西洋人的な日本女性ばかりが登場するから、日本人の美の常識がおかしくなっている。江戸時代の浮世絵では、切れ長の眼が日本女性の美しさを象徴していたのに、テレビのおかげで昨今では美人でもなんでもなくなってしまった。国民にこれでもかと繰り返し映る広告の効果というものは恐ろしいんだ。
 こういう話もした。日本人はもともと長胴短足だから、背広なんてものが似合わないのだ。飛行機のパイロットの制服などおかしくてしょうがない。僕の母親に飛行機に乗せたとき、彼女が日本人のパイロットの制服姿をみて「この飛行機、落ちやしないだろうね」といったのには驚いた。姿かたちでもう不安になっているのだ。
 そんな話を思い出した。日本人の姿かたちもずいぶんと変わった。背も高くなり、足も長くなった。女性は化粧の仕方でなんぼでも変わるため、顔つきまで変わってきた感じがしている。そのことは別として、化粧品の広告の影響は決して小さくない。繰り返し眺めているとなるほど、美人とはこういう顔をいうのかという気持ちにさせられる。
 氷上の美を競うフィギュアスケートで世界の人々が東洋女性ばかりを見せられると、彼女らの顔や容姿を美しいと思い出すかもしれない。ファッションショーの世界的モデルたちはいまだに多くが西洋人である。東洋女性の進出が進めば、どうなるのか。いやはや楽しみである。「わたしが変わる。世界を変える」。東洋の美が世界標準になる日がくるかもしれないのだ。(伴 武澄)