賀川豊彦献身100年記念事業で、「賀川豊彦賞」創設が課題となっている。確固たる事務局と資金の裏付けが不可欠であるのはいうまでもない。どんな人にあげたいのかという議論も熱く交わされている。
 筆者も会議で何人かの人物をあげたことがあるが、2月に入ってから賀川賞にぴったりの人物に何人も出合った。まず、栃木県の「こころみ学園園長」の川田昇さんを紹介したい。
 3月1日、栃木県が主催する「食の回廊コンベンション」に参加した。イチゴ食べ放題、ワイン飲み放題というお誘いにほだされて参加することになった。
 行きのバスの中でいつのまにかテレビにビデオ映像が流され始めた。山の斜面を開墾する姿が映し出され、「そうか、イチゴづくりは最初は大変だったのだ」などとのんきに構えていたら、どうやら様子が違う。
 知的障害の子どもたちが一生懸命働いている。ビデオは今日の目的地の一つ、ココ・ファーム・ワイナリーの生い立ちを映し出していたのだ。
 川田昇という青年が特殊学級の自分の生徒たちの将来のために、自ら山の斜面を取得し、働く場づくりを始めたのは、1958年のことだった。勾配38度の急斜面が3ヘクタールが子どもたちのの輝かしい将来を作り出すとは誰も知らなかった。
 川田さんは国や県の補助金は受けず、自ら自分たちの将来をきりひらくことを決めていた。ブドウとシイタケ栽培が始まった。
 川田さんは「子どもたちの手をみたらまっしろでマシュマロみたいだった。たぶん可哀想な子どもたちに親たちが何もさせずにいたからだ」と感じた。一月、二月とたつうちに子どもたちの手は日に焼け頑丈になり、やがて「農夫の手」になった。
 この施設は「こころみ学園」と命名され、全国から知的障害がある子どもたちを受け入れるようになった。ブドウを選んだのは一年中手間のかかる農作業だったからだ。斜面で働く効果はいろいろな面で現れてきた。家で暴力をふるって手の付けられなかった子どもが、落ち着いて黙々と働くようになった。急斜面を昇り降りするうちにバランス感覚が身に着くこともあった。自閉症も子もしばらくするとみんなの真似をして自ら働くようになった。
 15年後の1980年、この斜面の下でワインづくりが始まった。保護者たちが出資して「ココ・ファーム・ワイナリー」を設立した。子どもたちがつくったブドウを買い取る醸造業が始まった。
 なぜワインなのか、川田さんは語る。
「初めからワインを考えていた。障害を持つ子どもたちはカッコ悪いといわれた。だから彼らにカッコいいものをつくらせたかった」
 川田さんは障害児がつくったワインを売るつもりはなかった。福祉のワインは一度は買ってくれるだろうが長続きしない。おいしいワインをつくって普通に売りたかった。
 1989年からは米カリフォルニアの醸造家ブルース・ガットラヴさんが加わった。半年の約束できたが、川田さんの事業に心酔し、滞在は20年を超えた。
 子どもたちのつくったブドウから醸造したココ・ファームのワインは九州・沖縄サミットの晩さん会の乾杯用に選ばれ、洞爺湖サミットでも「風のルージュ」が同様に選ばれた。福祉のワインとして選ばれたのではない。目隠しテイスティングでソムリエたちに選ばれたのだった。
 子どもたちは成長して学園には多くの大人もいる。学園が子どもたちの学舎であり生活の場でもある。ワインの瓶詰めの行程で難しいのは「特に赤ワインの中のゴミを探す検査だ。普通の人でも難しいこの作業をどういうわけか得意とする子どもがいる」。そんな話も聞いた。
 ワイン畑では除草剤を一切使わない。環境の問題もあるがそれだけではない。草刈りは子どもたちの仕事としても必要なのだという。収穫時にカラスが実を食べにくるが、カラスの来襲とともに石油缶をたたいてカラスを追い払う役割もある。障害の程度によってそれぞれに役割があるのだという。
 知的障害者更生施設「こころみ学園」は足利市の山あいにひっそりしているのではない。週末になると都会から多くの人たちがレストランに足を運び、好みのワインを買っていく、栃木県が誇る「食の回廊」の人気スポットの一つなのだ。そんな施設をつくり経営する川田さんは今年90歳になる。(伴 武澄)