北京在住の親友、岩間孝夫さんが帰省していた先月、大阪で一献傾けた。その時、山崎朋子の『朝陽門外の虹』が話題となった。桜美林学園創設者の清水安三の物語である。賀川豊彦の影響を受けた清水安三は北京でミニ賀川を実践した。
 北京の下町というか、スラムに入って子どもたちに教育を授け、手に職を持てるよう尽くした。戦前のことである。戦前といっても1920年代のことである。魯迅の弟の周作人、胡適ら北京のトップレベルの知識人たちと兄弟のように付き合った数少ない日本人の一人でもあった。
 その清水安三の胸像が立ったという噂を耳にした岩間さんはさっそく、清水がつくった崇貞学園(現在の陳経綸中学)を訪ねてこの写真を送ってくれた。この胸像は中国で反日デモが吹き荒れた2005年に建てられた。多くの反対もあったとされるが、学校当局はその反対論を押し切って清水安三氏を顕彰することに踏み切ったというから、この胸像の意味するところは大きい。
 台湾の台南郊外に立つ八田与一の銅像と並んで、日本人が誇りとしていい、意味ある出来事なのだと考える(伴 武澄)

 【除幕式】
 桜美林学園の創立者で、戦前の北京で貧しい少女のために崇貞学園を運営した、故清水安三先生の胸像の除幕式が2005年3月30日に崇貞学園の跡地にある陳経綸中学で開かれました。
 以下、陳経綸中学校長の張徳慶先生の式辞をご紹介します。
 尊敬する桜美林学園理事長の佐藤東洋士先生、本田校長先生ならびに親愛なる先生と生徒の皆様方、本日、陳経綸中学と桜美林学園は共に、崇貞学園創立者である清水安三先生の胸像の除幕式を行います。
 まず、私は陳経綸中学の先生及び生徒達の代表として、桜美林学園の皆様が日本から来ていただいたことを熱烈歓迎致します。皆様は中日友好のため、そして、両校友好交流のため陳経綸中学に来ていただき、心から感謝致します。
 歴史を回顧すると、1921年、この学校のあるこの場所に於いて、清水安三先生は崇貞学園を創立しました。崇貞学園により、旧中国の貧しい少女達は教育を受けることができました。清水安三先生は教育者として中国人民に友好情宣を表したのです。84年が過ぎ去った崇貞学園は、北京現代化模範的重点中学の陳経綸中学になりましたが、安三先生の”学而事人”と”学長補短”に凝集される教育精神を吸収することは、依然として私たちにとって学校を運営するための大切な栄養となっていますし、私たちに対する励ましになっています。陳経綸中学は教育国際化の方向へ大きく発展していくことでしょう。
 陳経綸中学と桜美林学園の友諠長久のためにお祈りし、さらに私たち両校間の友好交流と付き合いが、ますます発展する様にお祈り致します。【桜美林学園のホームページから転載】
 http://www.obirin.ed.jp/hiscl/o_enkaku_tinkeirin.htm