2年前の4月17日付の韓国の中央日報日本語版に飛鳥寺に関する記事が出ていて興味深いのでコピーさせてもらう。
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  日本で最も古い寺といわれる奈良県飛鳥寺(写真)の原型は扶余の王興寺(ワンフンサ)である可能性が高いと朝日新聞が16日、報道した。
 http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=98879&servcode=A00
 新聞は「早稲田大学の大橋一章教授(仏教美術史)ら日本の研究チームが今月初め、扶余の王興寺遺跡地を調査した結果、ここで出土された瓦の文様と塔の構造などが飛鳥寺の遺物とほとんど一致する」と明らかにした。
 大橋教授は「2つの寺が同じ技術者によって創建されたという点に異見がない」とし「日本に仏教を伝えた百済が仏像やお経を贈ったが、なかなか広まらないことから本格的な布教のために王興寺をモデルに飛鳥寺を創建したものだ」と述べた。
 飛鳥寺は日本で唯一の1塔3金堂式だ。王興寺は塔と金堂、講堂が一直線につながった四天王寺式だと見られるが、回廊の東西にある付属の建物が後日、飛鳥寺 を作るときには金堂に変わったはずだと新聞は伝えた。一緒に研究に参加した国学院大学の鈴木靖民教授(古代史)は「飛鳥寺創建は百済王と倭王の間の活発な 交流を意味するもの」とし「歴史書に『(当時権力者だった)蘇我馬子が落成式のとき、百済の服を着て参列した』という記録もある」と説明した。
 2つの寺の関連性は、韓国国立扶余文化財研究所が昨年10月、王興寺から掘り出した金銀・青銅舎利容器に刻まれた創建年度を手がかりに初めて提起された。 舍利容器には「百済王の発願で(王興寺が)577年2月に創建された」となっている。日本書紀によると同年11月、百済王が日本に寺の技術者たちを送り、 11年後の588年、当時、権力を握っていた蘇我馬子が飛鳥寺を創建した。