2010年01月16日(土)異文化コミュニケーション理事 引地 達也

 西インド諸島の中央、エスパニョーラ島の西3分の1を占めるハイチで12日に起こったM7の大地震は住民に甚大な被害を与えている。犠牲者は1月15日現在、国際赤十字は5万人、現地政府は10万人以上としている。首都のポルトープランスから15キロというほぼ直下型の揺れに建物は崩れ、人は下敷きとなり、ライフラインは崩壊、援助物資も住民に行き届かない状態となった。米ABCニュースでは、家族や家を亡くし悲嘆にくれる人よりも、食糧や物資の不足による人々の苛立ちと混乱をそして苛立ちを率直に伝えている。
 そのハイチの人々の苛立ちにあの悪夢がよみがえった人もいるかもしれない。繰り返す軍事クーデターと無政府状態の中で民兵が武器を手に我が物顔で街を歩く、十数年前の、あのポルトープランスの姿である。
 1988年、長い独裁政権の後、31年ぶりに民政復帰を果たした直後、プロスペル・アブリル大統領警護隊司令官がクーデターで大統領に就任。米国の民主化要求で90年に辞任し、同年の大統領選で左派のジャンベルトラン・アリスティド元神父が当選したが、これも94年のラウル・セドラ陸軍司令官のクーデターで軍政に戻ってしまう。政治の混乱は住民間の争いの激化につながり、民間人同士の殺戮も行われた。
 国連は94年に民政復帰のため多国籍軍の武力行使を容認し米軍が進駐。セドラは亡命しアリスティドが約3年ぶりに帰国し復権した。その後もハイチは散発的な武装衝突が起こりながらも、国連PKO監視の下、少しずつ平和な国へと向かっているはずだった。
 だからこそ、大地震を受けて混乱に後戻りさせてはいけない。この思いは、治安維持にあたってきた米国が強いらしく、真っ先に救援部隊を派遣し、陸軍と海兵隊を動員、空母まで展開する予定だ。ブッシュ前米大統領まで支援を申し出、米大リーグも義援金の提供を表明した。
 また一昨年の四川大地震で国際的な救助を受けた中国が地震発生から33時間後には中国国際救助チームを現地に到着させた。台湾と国交のあるハイチでの展開には政治的な判断も見え隠れするが、その迅速さは評価されてよいだろう。
 一方の日本政府は14日に500万ドルの緊急支援を発表した。国連各機関と連携して救助にあたる方針という。現地へは医療ニーズを把握するために14日中にも調査チームを編成し派遣するとの説明。地震国として数々の災害にあい、乗り越え、学習してきた日本は大地震発生時の人道支援、救助活動、インフラ復旧に長けているはずである。それが、この腰の重さはなぜだろう。
 地震の備えを国民に呼び掛けて来た政府ならば、ハイチで刻一刻と「死んでいく」人への想像は及ばないのだろうか。ましてや「友愛」を標榜する宰相が運営する政府ならばなおさら、この行動は理解しがたい。
 米国は安全保障の延長として迅速な対応をし、中国は外交の一環で動いた。日本はそこに汲みする必要はない。人道支援の観点で常に災害救助への対応を迅速化し、ひとつの国際基準を作るべきであり、それが出来るはずである。災害救助の展開の先に安全保障があるのである、外交があるのである。
 ハイチの国旗の中央の紋章には、国旗には大砲、ライフル、太古、ラッパ、軍旗と戦闘用具がずらりと並ぶ。リボンにはフランス語で「団結は力なり」。独立をめぐる闘いの尊さを描いたものだが、やはり国の象徴から武器が消えることを望みたい。そう思う時、この大地震で、日本の得た災害に関するノウハウを発揮し、迅速かつ地道な支援を通して災害救助という活動の尊さを知らせる良い機会のはずだ。その活動が苛立ちによる衝突を軽減させ、感謝による安心を生み出すならば、いつか旗から武器は消えるはずである。

 異文化コミュニケーション財団コラム
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