10年以上も前の話だが、『日本がアジアに敗れる日』(文藝春秋社)を書いた。その中で「技術の馬跳び現象」というキーワードをつくった。携帯電話やインターネットなどの新分野はまさに先進国・途上国の違いがないことを証明した。この10年、既存の産業分野を持つ先進国が途上国に追い抜かれる現象も多く見てきた。ここ数年、世界の自動車産業の動きを見ていて再び「馬跳び」を思い出している。
 きっかけは約1年前、中国のBYD(比亜迪)がハイブリッド車を発売し、併せて電気自動車も発表したことだった。ハイブリッド車ではトヨタやホンダなど日本メーカーが最先端を走っていたはずだったが、日本でほどんど知られていない中国の電池メーカーがすぐ後ろを追走していたのだった。気が付くと世界的な投資家であるウォーレン・バフェット氏もBYDの技術に注目して同社の10%の株式を取得していた。
 BYDの強みは電池メーカーであること。また製造基準があまり厳しくない中国に本拠を置いていることである。
 中国ではモータリゼーションが始まったばかり。初めて自動車を購入する層が大きく、ガソリン車に対する思い入れが日欧米ほど大きくない。へき地へいけば逆にガソリンスタンドも少ないはず。自宅のコンセントから充電できるなら電気自動車でもいいじゃないか。そんな思いで電気自動車に飛び付く人々が多いはずだ。中国の自動車市場の強みは製造者側も消費者側も固定観念を持っていないことだろう。
 電気自動車が普及するのはたぶん途上国からだろうとは薄々感じていた。慶応大学の駒形哲哉准教授が『東亜』8月号に「電動車両で先行する中国」という興味深い論考を書いていた。電動車両とは日本で言うモーター付自転車のことである。中国大陸ですでに7500万台以上の電動車両が走っている事実には正直驚いた。日本との違いは十分なパワーがあるため、電動機は「補助」ではなく、モーターそのもので、ペダルをこぐ必要がないから、ほとんどがバイクとして使われている。省によって道交法が違うが、多くの地域で免許証なしで乗れるところがみそなのだ。
 日本の業者が着目して輸入もされているが、大阪あたりでは府警が中国製の電動自転車の摘発に乗り出したとのニュースも散見される。
 日本のバイクを生み出したのは本田宗一郎だった。自転車に小さなエンジンを付けた代物だったが、爆発的に売れた。中国で登場した電動車両はまさに50年前の日本を連想させる出来事だった。
 消費者が望む価格帯で売れば、消費に火が付き、さらにコストダウンに弾みがつく。そうして市場に定着した新製品は少なくない。日本では液晶電卓がそうだった。BYDの電気自動車はまだテスト段階だが、三菱自動車が発売したi-MiEV(アイ・ミーブ)が459万円もするのに対して、日本のガソリンエンジン車並みの価格設定で売り出されることは間違いない。新しい分野では価格設定は製品普及の一番大きな引き金となる。
 電気自動車で「技術の馬跳び現象」が起きるとすれば、それは中国しかない。自家用車はともかく、長距離走行を必要としない営業車両は次々と「電動化」するだろう。高価なリチウム電池でなく鉛電池の「電動車両」がすでに7500万台も走っている国である。だから21世紀の自動車産業をリードする可能性が強いのは中国ということになる。20世紀は自動車と石油が世界経済のけん引車だった。それは地球規模の環境問題にとっても朗報である。