多くの議論を重ねて、1989年は日本にとっても世界にとっても大きなターニングポイントだったことに気付き始めている。6月、中国で天安門事件が起きた。11月にはベルリンの壁が崩壊した。アジアでは学生が社会主義に弾圧され、ヨーロッパでは社会主義から解放された。それだけではない。現在、世界の政治経済を揺さぶり続けている環境問題が初めて先進七カ国首脳会議のアジェンダとなった。「サステイナブル」(持続的)というキーワードが人口に膾炙されるようになったのは1989年が嚆矢だ。
 日本にとって日米構造協議(SII)が始まる年だった。構造改革元年ともいえる年である。貿易立国といいながら海外勢から国境を閉ざしていた日本が世界に向けてようやく門戸を開放し始めるきっかけとなった。構造改革は今では「貧困」をもたらした元凶のように語られるが、日本だけに通用していた基準認証を世界標準に近づける努力が始まったのである。
 1989年は日本経済がピークの年でもあった。12月に日経平均株価が3万9000円をつけた。以降、一度もこの水準に達したことはない。当時の竹下登内閣は4月1日から3%の消費税を導入した。それまでの資産と所得中心だった国民課税は資産・所得・消費の三本柱が担うことになった。一般会計の税収は翌90年に60兆円を超えた。消費税は絶妙のタイミングで導入されたといえよう。翌年から始まるバブル崩壊過程で消費税の導入を決断できたかどうか分からない。
 NAFTAやECにならって、アジアでも地域経済を統合すべきだという意見の一致がみられ、APECが誕生した。当初は東アジアにオセアニアを入れた地域経済統合に関心が集まったが、最終的に「アメリカ抜きの地域経済はありえない」というベーカー国務長官の意見を取り入れて、結果的に環太平洋諸国も加盟することとなり、中途半端な組織となったが、アジアに求心力が集まったことは確かだった。
 1989年。地政学的も、経済的にも、社会的にもこの年を境に世界は大きな地殻変動を起こし始めたといっていい。国際政治は東西冷戦がなくなったが、正義と悪が復活した。経済的には日米が逆転し、中国経済が眠りから目を覚ました。企業はグローバル化の名の下に巨大な合従連衡に走りだした。環境や医療を中心にNGOの活動が普通に国境を越える時代となった。その地殻変動をもたらした1989年の大きな出来事を羅列してみたい。

 1月 昭和天皇崩御。平成始まる。
 4月 環境問題がサミットのアジェンダに。
 6月 竹下登首相が辞任、宇野宗佑外相が新首相に就任。
 6月 天安門事件。
 7月 ブッシュ米大統領がワルシャワで「コペルニクス転回が起きている」発言
 7月 日米構造協議(SII)がスタート。
 7月 アルシュ・サミットで東欧問題が最大の議題に。
 10月 ソニーがコロンビア・ピクチャーズを買収。
 11月 三菱地所がロックフェラーセンタービルを買収。
 11月 ベルリンの壁崩壊。
 11月 APEC第一回閣僚会議がキャンベラで開催。
 12月 日本の日経平均株価が3万9000円に。