賀川豊彦の風刺小説『空中制服』(不二出版)が5月1日発売された。 『空中征服』を再び手にして、この本はひょっとしたら『死線を越えて』より評判になるかもしれないと思い出した。80年前、東洋のマンチェスターと呼ばれるほど工場が密集した大阪を舞台に賀川豊彦が市長になりさまざまな改革を実行する物語である。大阪の新聞に連載された。
 当時の大阪の空は青空がみえないほど煙突からの煤煙に覆われていた。その煤煙を一掃したいというのが賀川市長の公約であった。工場主である資本家との激突があり、市職員のサボタージュがあり、ついには女たちが出てきて賀川市長に協力する。
 大阪の人々の協力を得られず失職した賀川市長は空中都市の建設を夢見る。そこには人間改造機械によって、精神をあらためられた人々だけが送り込まれる。そして風船によって空中に支えられた楽園である田園都市が突如、出現する・・・・・・。
 復刻版に解説を寄せた神戸文学館の義根益美学芸員は「賀川豊彦がみた『空中征服』の夢に、多くの人々が笑い、そして何かを得ただろうと思います。痛烈な皮肉だと、受け止めた人もいたと思います。大正時代当時の人々と、私たちは随分異なった社会に生きていますが、人間社会の根底をなすものは大きく変わらないことがわかる1冊です。『空中征服』の世界を通じて、私たちが生きている社会というものを見つめ直す機会になれば幸いです」と書いている。
 書き出しも面白いので2回連続で紹介したい。続きが読みたい方はぜひ書店でご注文ください(伴 武澄)

 空中征服 1.市長就任演説
 「偉大なる大大阪の市民諸君、私はこのたびこの大大阪の市長として席を汚すことになりました。私はそれを光栄に思い、また不名誉にも思うております」
 賀川豊彦が、大阪市長になったという号外が大阪150万の市民に配られたのは、3日前のことであった。それはまったく市民の予想外のことであり、資本家も、労働者も、官憲も、誰もそれを知らなかった。ただ一人賀川豊彦のみが知っていた。
 賀川豊彦はコーヒーを呑み過ぎて、貧民窟の暑い夜、一晩寝られないで、苦しんだあげ句、自分自らを市長に推挙し、大阪の空中征服を思い立ったのである。それで、号外の出たのは彼一人が、大阪市中に配ったのであって、誰一人号外を配達したものもなかった。彼は夢の中に、大阪市長になって、床の中で一人演説しているのであった。
「--市民諸君、私が市長としてなすべき事業は実に多くあると思います。その第一は何を言うても、大阪の空中征服であると思います。今日のごとき空を持ち、あの煙突と、煤煙を持っていては、とても大阪市民は、この50年の健康を続けることは出来まいと思います。大阪精神の確立はまず、空中の煤煙防止から始むべきであろうと思います」
「私は決して境遇万能論者ではありません。しかし、性格万能論者も必ずしもすべての真理の把持者であるとは言えませぬ。水を離れて魚の生きてゆく道がないごとく、空気を離れて人間の生きてゆく道がないのであります。したがって大阪人が、大阪精神を創成せんとするならば、まず新鮮な空気を吸うことなしに、それは可能であり得ないのであります。今日空気を売買しているのは炭坑であります。そこは空気を坑中奥深く送らなければ坑夫はみな窒息してしまうのであります。
 しかしわが大阪の空気は炭坑に比べて決してよいと言うことは出来ませぬ。大阪の空中の炭酸ガスの量は常に百分の五以上であり、その煤煙の量はまさに世界一であります。
 大阪市が世界一の乳児死亡率を持ち、世界一の肺病都市であり、世界一の不健康な都市であるとするならば、私--すなわち諸君の市長が第一にの事業は諸君に対する健康の保証であるべきだと、私は信ずるものであります。
 爾来、医者は仁術と言われておりまして、社会民衆のために努力するのが、その使命でありますにかかわらず、今日の彼らはただ金を多く儲けさえすればよいというだけのことになっております。彼らは個人個人に対する医術は知っていても、社会病理に対する診断をなし得ないのであります。彼らは地上を這うことを知っておりますが、空中を征服することを知りません。資本におべっかを言うことを知っておりますが、貧乏人を見舞うことを知りません。お葬式をすることを知っておりましても、社会を社会として生かす術を知りません。ここに私は社会病理学者として、まず空中征服の大役を仰せつけられ市長として就任することを光栄に思います・・・」
 賀川市長の就任演説はもう少し長かった。しかし、新聞記者が欠伸して、中央公会堂から出て行ったので、話はここで切れている。