泰山府君という名のサクラ
泰山府君という名のサクラがある。大振りの八重桜で花弁が35-40枚もある。花の外側ほど色が濃く、中心部は白い。新宿御苑にもあるから、名前を知らなくとも見たことがある人は多いはずだ。間違えても中国から渡来した品種だと思ってはいけない。里桜といわれる、いわゆる配合種の一つである。
能を趣味にしている人はたぶん、その名前の由来も知っているはずだ。能「泰山府君」は世阿弥の作として伝わる能の演題にもあり、まさしくその名前が生まれた平安時代の物語を素材としているからだ。
平安の末期、平家が全盛となった時代に桜町中納言という公家がいた。父親の藤原通憲(信西)の子、成憲は平治の乱で父親が敗死し、婚約者だった清盛の娘は左大臣藤原兼雅に嫁いでしまう。世をはかなんだ成憲は、邸宅にサクラを植えて心の癒やしとするようになった。サクラの季節には人々を招いて宴を催したため、「桜町」の名がついた。
成憲はサクラの命の短いのことを嘆き、「泰山府君」に祈ったところ、20日の命に延びたことから、後の人たちがそのサクラを「泰山府君」と呼ぶようになったという話である。平家物語にその典拠があり、平家では「泰山府君」ではなく、天照大神となっている。
泰山は中国道教の5カ所の聖地のひとつ、というより筆頭の聖地で、山東省にある。日本には古くから道教が入ってきていて、平安初期に唐に渡った天台の高僧円仁が学んだ赤山法華院もある。(平成の花咲爺)