献身100年キックオフの集い
2月28日、賀川豊彦献身100年記念事業の記念礼拝とキックオフパーティーが青山学院大学のベイリーチャペル、青学会館で行われ、関係者160人が参加した。記念事業実行委員長の阿部志郎氏はあいさつの中で「賀川先生は遠い先を照らす灯台のような人だった。先生がどういう問題を提起したかが問われる」と指摘、村山盛嗣氏は「賀川先生と仲間たちという視点でプログラムを組んでいる」と神戸プロジェクトの独自性を強調した。メモを頼りにあいさつを再現したい。
東京プロジェクトの阿部志郎氏あいさつ
降る雪や明治は遠くなりにけりという。
戦争も知らない人が増え、まして賀川豊彦先生は忘れ去られている。
だが、もう一度、賀川先生に注目しよう。
賀川先生はたくさんの仕事をした。なぜ賀川先生が事業を始めたのか。
今なお生き続け活発に活動している事業も少なくない。
賀川先生が何を残したのかというより、その先を見たい。
賀川先生は遠い先を照らす灯台のような人だった。
多くの人は賀川先生が何を書き、何をしたかを問う。そして賀川先生を批判してきた。
問題はこの指の先にある。賀川先生がどういう問題を提起したのかということである。
賀川先生が残した思想と行動の中に大切なかぎが隠されていると確信している。
神戸プロジェクトの村山盛嗣氏のあいさつ
阪神淡路大震災のとき、賀川豊彦先生がどういう気持ちで関東大震災の救済にあたったのか考えていたら、「これから神戸の仕事を始めよう」という一文に出会った。新川スラムの救貧活動、労働運動、農民運動、協同組合運動など広い範囲の仕事をしているが、すべて神戸の仕事として行動していたのだと思った。すべての原点に神戸があった。
賀川先生の多くの業績は多くの仲間があったから大きな仕事ができたはずだ。神戸プロジェクトは「賀川と仲間たちに出会う」というプログラムをつくっている。これから先の100年を目指して歩く出発点である。賀川先生ならどう考え、取り組んだかを考えようというのだ。
「100年シンポジウム」は来週、バングラデシュのユヌス氏を招くが、これから毎年シンポジウムが続けられるプログラムである。組合、生協、農協といった組織を次世代に引き継がなければならない。「町マップ事業」は賀川先生が神戸の地で大なった事業の地を探し出し、仲間たちの歩みをウオーキングでたどる企画。生協OBのご婦人方やYMCA、関西学院の学生たちが参加しているが、どんどん増やして、若者たちに賀川精神を伝えていきたい。
昨年来の経済危機の最中での開催であったため、パーティーの会食はお弁当とし、参加費の一部を「貧困」問題を解決するために尽力しているNPO法人に寄付することになった。