アメリカ合衆国を考える MD伴塾2009年1月30日
13年前、ダイヤモンド社のウエブ企画「メンターダイヤモンド」に協力したことがある。学生たちを集め、彼らに大企業のトップインタビューをさせる大胆な試みを面白いと思った。僕の役割は政治や経済の基礎知識を講義するというもの。国家の成り立ちなどと当たり前すぎる歴史から紐解いた。ユニークな学生たちが多くいて教えることが面白かった。その”生徒”たちの中には2000年4月の徳島市長になった内藤佐和子さんもいた。(2001年6月1日記)
アメリカ合衆国の新大統領にバラク・オバマが就任した。4年前、8年前も新大統領が生まれるたびにアメリカという国の成り立ちを考えた。現代では当たり前のようにどこの国にもいる大統領とは何なのか。250年前まで王様が国を統治するのは当たり前のことだった。国は王様のものであり、国民も王様のものであった。市民という概念がない時代である。原始共産社会から部族社会が生まれ、その中の勇者が統一国家を形成していった。いま我々が問題とする民族はそうした国家形成の過程で順次生まれていった。
ローマ帝国時代に「ローマ民族」は存在しなかった。彼らが形づくったのはラテン語という言語と法秩序である。ラテン語を書き話す人々がローマの民となった。周辺の蛮族はこれに従わなかった。従うものたちはすべてローマの統治(suvereign)を受けた。地中海沿岸を 支配したローマ帝国は当時としては一つの世界であり、宇宙であった。
中国もまた歴史的に似た帝国を形成した。初めても統一国家の秦はやはり漢語と法を用いて中原を一つにまとめ上げた。中国人という概念はなく、中華と夷狄の概念はたぶんローマと同じだったのだろうと考えている。漢語を書き話す人々が東洋に巨大な世界をつくり宇宙をつくった。
彼らは統治のために多くの言葉をつくった。衣食住だけの世界から脱したのである。武力も大切だったが、決定的だったのは統治者たちの集団は言葉をつくる能力に長けていた。言語が先にありきというのが国家や民族のなりたちの始めではないかと考えている。
1775年4月19日、新大陸にあった13の植民地とイギリスとが戦争に突入した。113の植民地は共通の軍隊も持たなかった。レキシントンの戦いは今では独立戦争という名称を与えられているが、英国王の正規軍と民兵の衝突だった。英国王からすれば、反乱の鎮圧であるから、戦争ではなかった。
しかし13州の代表たちは翌月の5月10日、フィラデルフィアに集まり、大陸会議(Congress)を結成した。6月14日、大陸会議は「正規軍」を編成、バージニア植民地の代表の一人だったジョージ・ワシントンを将軍に祭りあげた。次いでフランスに大陸会議代表としてサイラス・ディーンを大使として送り込んだ。
フランスはまだルイ王朝の時代である。フランスがディーンを大使として受け入れたということは同国が大陸会議を「交戦国」として認めたことにほかならない。英国王が反乱鎮圧と考えた戦いはこれで「戦争」へと昇格した。
大陸会議はアメリカ合衆国憲法を制定した後、その機能は同じ名称でアメリカ議会に継承される。Congressである。13州の代表たちはCongressの議長はPresidentと呼んだ。Congressの議長の機能が同憲法のPresidentに引き継がれた。
人々が集まり、会議を開き、会議の運営のために議長を選出するということは古今東西どこにでもある現象である。その会議が対外的に交渉を持つ場合、議長が会議の代表としての責任者となるのも自然の成り行きであろう。アメリカ合衆国がそうして生まれたと考えればわかりやすくはないだろうか。
アメリカ合衆国の成り立ちが他の国と決定的に違うのはそれまでの世界の歴史の常識であれば、13州の代表のうち一番力のある人物が推されて国王を名乗るはずなのに国家統治の手法として王制を採らなかった点である。
フランスは革命に失敗した後、ナポレオンが推されて皇帝に即位した。せっかくルイ王朝を倒して民主革命を起こしたにもかかわらず王制が復活した。
アメリカの大陸会議では、パリ条約で独立が認められた1783年の12月にワシントンは陸軍最高司令官を辞任した。13州の代表たちが憲法制定会議を開くのは1787年5月である。Constitutional Convention in Philadelphia。Constitutionという名称が初めて歴史に登場する。
王権のあり方を文章化した試みとしてはイギリスにマグナ・カルタがある。しかし、国家の統治機構全般を文章化し、国家経営への参画者たちが守るべきバイブルとしたのは初めてのことである。アメリカ合衆国憲法には「主権」という言葉がないそうなのだ。確かめてみると確かにない。
主権という言葉は非常に恐ろしい概念である。日本の主権在民はやさしい響きがあるが、英語のsouverignは厳しいものだ。税を取り立てる権限や戦争を始める権限はすべてここに含まれる。近代国家のすべてが戦いの中から生まれているという背景から国家の機能から武力を取り除くことはできない。日本の主権在民にやさしい響きがあるのは、憲法で戦争を放棄し、武力を持つことも禁止しているからにほかならない。
選ばれた大統領が13州を代表して4年間にわたりアメリカを「統治」するのがアメリカの国のあり方である。合衆国憲法は王権と大統領権がどう違うのかは明示していないが、4年間の全権を委ねていることは確かである。
日本は江戸時代末期に開国を余儀なくされた。近代国家を形成するため、多くの優秀な人々をヨーロッパに送り込んだ。国家統治のあり方を学び、科学を学んだ。彼らが一番苦労したのはヨーロッパの概念をどうやって漢字で表記するかということであった。
1.President(大統領、総統)
英語 president はラテン語の動詞で支配・統括することを意味する praesidere に由来している。様々な団体の長を指す一般的な言葉(例:会社の社長も president )である。アメリカ合衆国の建国時に、国家元首の呼称として権威的な響きのない語を求めて、史上初めて採用した。President の訳語の「大統領」は、幕末に黒船が来航したときに日本語の「棟梁」から由来したアメリカ合衆国元首に対する造語であるという説がある。中華民国の「総統」は英語ではPresidentという。
2.Constitution(憲法)
穂積陳重の『法窓夜話』によれば、明治6年(1873年)に、箕作麟祥がフランス語の「Constitution」に「憲法」なる訳語を当てたのが始まり。当初は、「国法」、「国制」、「国体」、「朝綱」など、さまざまな訳語が使用されていた。もともと、「独Verfassung」等の原語は「もののあり方」とか状態とかを指す語。そこから転じて国家のあり方を示すようになった。つまり、もっとも基本的な意味は、国家のあり方という意味である。
「前述の上院議員および下院議員、各州議会の議員、ならびに合衆国および各州のすべての行政官および司法官は、宣誓または確約により、この憲法を擁護する義務を負う」(アメリカ国憲法6条の3)
3.議会(Congress=Senate、House of Representative)
上院は「連邦会議」(州2人ずつ)、下院は「国民会議」(人口比)
1774年9月5日から10月26日 大陸会議第1回会議 議長ヘンリー・ミドルトン
1775年4月19日 独立戦争開始、レキシントン・コンコードの戦い
1775年5月10日から1781年3月1日 大陸会議第2回会議(フィラデルフィア)
1775年6月14日 植民地軍成立 ワシントン将軍就任、サイラス・ディーンをフランスに大陸会議大使として派遣
1776年 独立宣言 『すべての人民は法のもとに平等である』
1777年11月15日 第2回大陸会議で連合規約採択Articles of Confederation(United States of America)
1781年3月1日 連合規約、批准終了
1783年 パリ条約
1783年12月23日 ワシントン メリーランドで陸軍最高司令官を辞任
1787年5月 フィラデルフィア憲法制定会議、Constitutional Convention in Philadelphia,
1787年9月17日 合衆国憲法成立
1789年3月4日 憲法発効
1789年2月4日 大統領選挙
1789年4月30日 ニューヨークで大統領宣誓式
1790年7月16日、合衆国首都設置法(The Residence Act)コロンビア特別区設置
1791年9月9日 首都をワシントンと命名
1799年12月14日 ワシントン死去(67歳)
1800年11月17日、ワシントンで最初の連邦議会
1870年、修正15条により、黒人に参政権
1951年、憲法修正22条により、三選が禁止
1961年、憲法修正23条により、ワシントンD.C.市民に初めて大統領選挙の選挙権