すきな人と、すきなところで、くらし続けたい
2009年01月03日(土)佐久総合病院 色平哲郎
東京から信州の山の村に家族5人で移り住んで、十数年暮らした。高齢化率40%。診療所の「お客」の多くが、後期ならぬ〝高貴〟高齢者である。彼らの昔語りに耳を傾け、往診で山道に車を走らせながら、日本国の近未来を透かし見ている自負があった。
しかし最近、それが思い上がりに近かったことに気づいた。日々、要介護認定を下していても、介護の実際は案外知らない。「すきな人と、すきなところで、くらし続けたい」という高齢当事者の切実な思いにこたえるのは医療行為より介護、ケアだ。彼らの日常を支えているのは家族、そして家庭を訪問して細やかな相談にのるケアマネジャー、保健師たちなのである。
そんなとき、コミック「ヘルプマン!」(くさか里樹著/講談社)に出会った。
都会で働く49歳の男性の家に、田舎の弟夫妻とくらしているはずの老母が現れる。弟は、なかば捨てるようにして母を兄に押しつけていく。キャリアウーマンの妻も青春を謳歌する娘も、世話など見向きもせず、困り果てた男性は、ヘルパーを頼む。
現れたのがフィリピーナのジェーン。楽天的な気質で認知症の老母を包み込む。ただ、介護保険の給付対象にならない「散歩」や「お喋り」にも時間を費やしてしまい、様々な軋轢が生じる・・・
フィリピンといえば、私が佐久病院にやってくる、そのご縁をいただいた場所。レイテ島には佐久病院看護学校の「姉妹校」があったりして交流する機会も多い。
親しみを感じつつ読了したが、「ヘルプマン!」特にその第8巻が描く世界は、外国人による介護「現場」を先取りしていて、蒙を啓かされる。
アジア諸国とのEPA(経済連携協定)の締結で、いよいよ介護士や看護師が海を渡ってくる時代になった。インドネシアからの第一陣はすでに来日した。だがケアとは何か、正面から考えずにきた日本社会は、このコミックが描くような「ぶつかり」に次々に直面することになるのではないか。
一方、介護士を送り出す相手国の実情はどうだろう?
たとえばフィリピンでも先頃、国会で日比EPAが批准された。
しかし署名から実に2年の歳月を要し、「憲法違反」との反対論まで沸き起こっている。背景には医療分野での海外頭脳流出、都市と地方の絶望的医療格差などの問題が横たわる。
言葉の壁がある日本にどれだけの外国人医療者が来るかは未知数だが、日本は一方的に介護士を受け入れ、サービスを「消費するだけ」でよいのだろうか。一定期間、日本で介護に携わったら、帰国して母国で働く。日本は、相手国の医療看護や介護分野にヒト、カネ、ノウハウを送り、相互に人材が還流する。そんな、双方が高めあえる仕組みづくりが必要だと思う。
アジアで出会った保健医療福祉の現場で働く彼ら、彼女らの顔を時折、思い起こす。ケアやキュアという英語の語源がカトリックの典礼語ラテン語のクーラにあることを思う時、彼らの優しさ、人を憂うる「心持ち」の後にしっかりとした信仰があることに改めて気づかされる。
ようやく高まりをみせつつあるケア論議は、私たちの社会の、人と人とのかかわりの思想が試される一歩、なのだ。(いろひら・てつろう)