神谷秀樹『強欲資本主義 ウォール街の自爆』(文春文庫、2008年10月)
 タイトルの通り、ウォール街は自爆した。元々、投資銀行はお金持ちの投資の相談を請けおって手数料で生きてきた。アメリカのビッグバンで90年代に銀行と証券の垣根をつくっていたグラス・スティーガル法がなくなり、自由な参入競争が起きた。
 自由な競争は大歓迎だが、投資銀行の企業行動に大きな変化が起きた。まず、自らの勘定で投資に打って出るよう になったことが第一。人さまのお金を集めて運用し、巨額の運用手数料を得ることを学んだ。もうかるのは手数料だけではなかった。トレーダーたちは「成功報 酬」として運用実績の2割だとか3割を手にすることを覚えた。
 投資金額が大きくなれば、手数料だけでもばくだいな金額になる。手数料だから、たとえ「損失」が出てもこれはいただける。おいしい商売である。これは基 本的に投資銀行自体に入る。これに自らの勘定による投資が加わった。銀行もトレーダーも運用実績が上がれば、「成功報酬が上がり、ともに潤う。
 問題はこれから先だ。「損失」が出た場合、トレーダーは首になるだけで、金銭的損失は被らない。しかし、銀行にとっては大変なことになる。
 第二の変化も重要だ。ゴールドマン・サックスなど多くの投資銀行は経営者(株主)が「無限責任」を負うパートナーだったが、90年代に入り、有限責任の株 式会社に転向した。小規模経営だった80年代までは多くの資本を必要としなかったが、自ら投資を行う場合、取り扱い資産が巨額化し、それに伴って自己資本 の増強が不可欠だったことは確かだが、経営の根幹は「無限責任」から「有限責任」へと180度も変わっていた。
投資銀行が巨額の損失をこうむっても、経営者は過去の収入にまで手を入れられることはなくなっていた。これは大きな変化というか、モラル・ハザードを起こしやすい経営になっていたということである。
「きょうの利益は僕のもの、明日の損失は君のもの」という著者の”格言”はまさにそんな投資銀行の変貌から起こり得るべくして起こった。(伴 武澄)