2008年10月20日(月)早大4年 小野美由紀
「人生と荷造りは同じ。旅の間にどれだけ要らないものを捨てられるかが、”自分がなんだったか”を決める」
 ある韓国人の人類学者の言葉スペイン北部に連綿と続くキリスト教の巡礼路、カミーノ・デ・サンティアゴ。最終地点である聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指し、毎年3万人を超す巡礼者たちが、全長750キロもの道のりを歩く。
 冒頭の言葉に出会ったのは、去年この巡礼の旅に参加した時のことだった。当時私は世界中を一人で旅して回っていた。インドからユーラシア大陸を横断しポルトガルへ。その途中、他の旅行者からこの道のことを聞き、単調になってきた旅に変化をつけるため、カミーノに臨んだのだった。
 そのときの私は、日本から抱えてきた様々な悩みから逃げるように旅路を急いでいて、自分自身と旅をすることに疲れていた。全てを投げ捨て、歩くという行為のみに集中し、自分の内面を見つめたかった。だから、毎日毎日、鬱蒼と生い茂る森の中をただひたすら歩き続けた。
 しかし、今までのこととこれからの事を考えれば考えるほど、余計な思考が頭の中に散乱し、答えの出ない苦しさから、心は固く閉じていった。
 300キロほど歩いた地点で金さんという韓国人の宗教人類学者に出会った。彼は韓国出身で、東大を出て、四万十川をフィールドワークにしていて、今はソウルの大学に籍を置きながら、色々な宗教体験を研究している。なぜそんな話になったのか、まったく覚えていないが、ただ
「荷作りと人生は同じ。自分は後長くて20年くらいだけど、その間にどれだけ要らないものを捨てられるかが、”自分がなんだったか”を決めるんですね」
という彼の言葉が、鈍磨し重たく錆びていた頭に、ボディブローのようにガクンっと効いた。
 確かにそのとおりだ。確かにそのとおりだ。人間シンプルな方が絶対に強い。余計なものを削ぎ落した時、最後に何が残るかでその人の人生が決まる。私の 最後まで捨てられないものってなんだ。それさえあれば、生きていける。
 ただひたすら、それだけを磨き上げるために生きるような自分の核を選び出すことができれば、他のことはどうなってもいいんじゃないか。そう思った。
 あれから一年、また巡礼の旅に出る。最後まで捨てられないものを探すために。考えてみれば、学生記者として先哲たちのパワーワードを追い求めようと思ったのも、それが、彼らが捨てられず最後まで残しておいた彼ら自身の「核」に他ならないからだ。
 人生の中で無数のものを得、雨風にさらされて削り取られ、諦めて手放し、それでもなお、捨てられないものが彼らの人生哲学として人に影響を与える言葉になると思ったからだ。
 今度の旅の間に、どれだけ余計なものを捨て、他の何にも譲れない自分自身の核を探し出せるか。それだけが、700キロを3週間かけて歩く、今回の旅の目的だ。

 メンターダイヤモンド学生記者クラブ
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