鎌倉幕府が生んだ「職(しき)」=権利という概念
 鎌倉時代に日本で生まれ、室町時代にはあらかた消えてしまった概念に「職(しき)」という言葉がある。日本で「権利」に該当する用語はこの「職」以外になかった。
 戦後、大学で法律を学んで一番考えあぐねたのは、民法の分かりにくさだった。何でこんなに分かりにくい表現になっているのか考え、たどりついた結論は、第一章第一節「私権の享有」に始まって全編が「権利」でつづられているからだということであった。
 例えば、「親の務め」といえば分かりやすいのに、「子供の権利」から解き起こすから理解するのに骨が折れる。いくら説明してもしっくりこないのは用語や言い回しが難解すぎ、日本語になじんでいないからだ。
 「債権」や「賃借権」くらいの理解がやっとの平均的日本人に「主権」などという概念を持ち込むのはかなり残酷な話である。頭で分かったつもりでも納得し たとはいえないだろう。日本人は都合のいいときには「民主主義」を振り回すが、潜在意識では直感で「どうせ建前論さ」と高をくくっている様子が見え隠れし ている。本音では「お上」は現存しているのだ。
 わがままな王様が臣下のすることがいちいち気に入らなくてわめき散らすように、国民という名の王様は、政治家という政治家をこきおろす。そうかと思うと 一方で、業界のメンタリティーは「泣く子と地頭には勝てぬ」と黙りを決め込む。法的根拠もない主務官庁の「行政指導」には唯々諾々と従っている。この実態 のどこに民主主義があるというのだろうか。(伴正一『魁け討論 春夏秋冬』1998年09月01日付コラムから転載)