イタリアのコモ出身のアレサンドロ・ボルタが電池を発明したのは1799年。ナポレオンが支配した時代でイタリアという国はまだなかった。そして1832年、フランスのピクシーが手回し直流発電機を発明する。その発電機に電流を流して回すモーターは1834年、アメリカのバーモント州のサマリーとダベンポートによって開発される。ここまで電気は直流のことだった。
 そもそも交流が普及したのは、エジソンが1879年、白熱電球を発明してからのことなのだ。
 しかしエジソンが白熱電球の実験をしたのは直流だった。一般家庭で電球を灯すためには電気が必要だったが、当時はまだ電気が”供給”されていなかった。そこでエジソンはニューヨークで電線を引いて電気を供給する事業を開始した。もちろんそれは直流だった。
 交流発電機はエジソンの部下のニコラ・テスラによって実用化された。エジソンはかたくなに直流方式を主張したが、事業化でテスラの交流を採用したのはライバル会社のウエスチングハウスやトムソン・ハウスだった。
 直流方式は電圧降下のため、半径3キロ程度しか送電できなかったが、交流だと、高い電圧で送電して、どこでも100ボルトに下げられる。送電の効率からすると直流は交流に対抗できるはずもないことがやがて分かった。
 しかし、エジソンは最後まで直流に固執し、高圧の交流がいかに危険かを示すため、イヌやネコを感電させる実験までして抗議した。おもしろいエピソードとして残っているのは、エジソンがつくったGEの当初の会社名はエジソン・ゼネラル・エレクトリックだったが、エジソンの態度にあきれた後継者たちが、会社名からエジソンを取ったということだ。
 発明王の最初のつまづきは直流に固執したことだったと思っていたら、四国新聞の4月23日のコラム「一日一言」にエジソンの最初の失敗作は「1868年、21歳の時に初めて特許を取得した発明品は『電気投票記録機』である」との紹介があった。
「議会の採決の際、いちいち投票箱まで歩いていくのは時間の無駄。議席でボタンを押せば、たちどころに投票結果が分かるようにすればいいじゃないか―。エジソンは自信満々に議会に売り込んだ。しかし議会は導入を断った。採決に時間をかけるのは戦術の一つだし、この機械を使うと少数派の言論が奪われかねないとの理由だった。エジソンの発明は必要ないと判断された。」のだそうだ。
 19世紀の中ごろにすでに「電気投票記録機」が発明されていたというのは驚きだったが、アメリカ人がその最新鋭の機械の導入を断った理由が”民主主義に反する”というのも興味ある判断である。

4月24日付・機械を超える議員に【四国新聞】