京都を訪ねて御所が左京区にあるのをおかしいと感じた人は相当な京都通だ。御所を中心に左右があるはずなのに。歴史教科書の平安京の配置図は覚え ていると思う。あの図は設計図のようなもので実際建設されなかった部分も描かれてあると教わったこともあるが、これは定かでない。


 平安時代、内裏は度々の火災で焼失した。内裏が再建される間は里内裏といって貴族の邸宅に仮御所が営まれたが、鎌倉時代、天皇と幕府が対立して起きた承 久の乱(1221年)の前後に消失して以降、再建されることはなかった。再建中に里内裏とされていた土御門東洞院殿、つまり現在の御所が正式の内裏となっ た。後堀川帝の時代である。


 東洞院は上皇のお住まいの意味で、現在の京都御所には仙洞御所が東側にある。土御門殿といえば、藤原道長が住んでいた寝殿造りの邸宅。後に後白河上皇の所有になったこともある由緒ある場所である。これが明治2年まで続いた内裏である。


 桜とは縁のない話ではない。その里内裏でも左近の桜だけはずっと殿上人たちに春の訪れを伝えていたということだ。(花咲爺)