青丹によし奈良の都のさく花の にほふが如く今盛りなりけり

 先週の気象庁の桜の開花予想で今年の開花は例年以上に早くなるとされた。
「このままでは3月中旬にも花が咲いて4月までもたないかもしれない」

 そんな不安の声も聞かれた。旧暦でいえば、桜の季節は三月弥生である。桜は四月というイメージが定着したのは新暦になってからのはずだ。 それにしても日本列島が桜、桜と騒がしくなったのはいつからなのか。ソメイヨシノという現在の桜の代表的品種が開発されたのが江戸期だとされているから、 たぶん江戸時代になってのことだろう。

 そもそも万葉集で「花」といえば梅のことだったようで、桜より梅をうたった歌の方が圧倒的に多いのだそうだ。そんななかで奈良の満開の桜をうたった代表 作が「青丹よし」である。作者は小野老(おののおい)。朝廷の役人で大宰府に赴任、歓迎会で奈良の都を思い出してうたった。神亀五年(728年)のころと されるから、聖武天皇が即位間もないころ。興福寺はあったが、東大寺はまだ建立されていない。

「青丹よし」は奈良の枕詞だが、青は緑に通じ、丹は朱色のこと。壮麗な都の建築物を想像させるが、どれほど奈良の地が整備されていたか分からない。

 今や奈良盆地は見る影もなく俗化されているが、それでも二月堂から眼下に広がる緑と東大寺の堂宇の眺めは悪くない。緑の中に朱塗りの宮殿と堂宇が点在する風景こそが筆者にとっての「青丹によし」なのだ(平成の花咲爺)