世の中にたえてさくらのなかりせば はるの心はのどけからまし

 47NEWSとして「桜だより」を始めようとした時、「桜は日本人の心だ」といったら、反論があった。「そうか。この時期に心が浮き立たない日本人もいるのだ」と考えさせられた。

 さはさりながら、「桜だより」の編集者はその心浮き立つ日本人の一人。この時期にせっかく「桜だより」を始めるのだから、桜について学びながら併せて「桜のうんちく」を書きたくなった。桜といえば思い立つのは日本人のうたごころである。

 桜といえば西行や本居宣長が有名であるが、この浮き立つ日本人の心を和歌に託したのは、ご存知、平安のプレーボーイとして浮名をはせた在原業平である。 六歌仙の一人で伊勢物語の主人公兼作者といわれている。平安初期の歌人であるから1100年以上も前に日本人-当時はそんな概念があったかどうか分からな いが-の心を読み、ずっと日本人の心をとらえてきたのだからすごいことではないか。

『伊勢物語』を一度でも読んだ方は、この物語がなぜ「伊勢」と呼ばれるのか疑問に思ったはずだ。読み出しても一向に伊勢にまつわる話は出てこない。そのうち伊勢斎宮の恬子内親王との禁じられた恋の物語が出てきてようやく納得する。

 斎宮は伊勢の神さまにささげられた皇女。天武朝に始まったとされ南北朝の時代に終わった。一生を神さまに尽くす身であるから恋などをしてはならない。ま して男の方から恋するなど大胆にもほどがある。業平にかかわらずこの時代の宮廷人たちは恋に自由だった。桜が咲き舞い散るこの季節は恋心ももっとも盛ん だったのだろう。うらやましく勝手に想像している。(平成の花咲爺)