執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

■「子育ては母親がやるべきもの」なのか 幸子(米国在住、専業主婦)

私は現在専業主婦で主人の転勤でここ4年ほど米国南西部のある都市に暮らしております。こちらで生まれた二人の子供達の育児に追われる毎日です。自分の事が何一つ自由にできない日々に疲れることもありますが、もしこの都市で一生暮らすことができるのであれば子供はもっと欲しいと思うのです。でも、近い将来日本に帰国することを考えるとその選択肢は皆無に等しく、悲しい現実でもあります。

この都市では「母親」はかなり優遇されています。保育園、託児所の仕組みが多様化していて、たとえば働く母親は朝6時から夜6時までの保育園の利用、もしくはナニーと呼ばれる住み込みや通いのベビーシッターの利用が主です。(もちろん、実家に頼っている人もいます) そして、いわゆる専業主婦である母親にも「自分の時間を持つ」という権利は認められていて、早いところで生後3ヵ月くらいから各教会が数時間、比較的低価格で預かってくれるシステムがあります。また、スポーツジムにも託児所がついており、生後6週目から預けることが可能です。そして、大抵のレストラン(高級なものはのぞいて)には子供用の椅子がおいてあり、大抵のデパートにはオムツ替えの台は当然のこと、授乳室もついています。

私が個人的に日本で生活していくうえでたくさんの子供を生みたくない理由は上にあげたシステムの問題もありますが、それよりも周囲の子供に対する考え方が第一にあげられます。

子供と荷物を両脇に抱えている時にお店などのドアを開けてくれる人はいるでしょうか? 乗り物の中で赤ちゃんを抱えているお母さんに席を譲ってあげるでしょうか? 子供は「うるさい存在」と思っている人がどれほど多くいることでしょうか? 子育てに関わっている男の人がどれくらいいるでしょうか?

先日日本にいる私の友人が、子供が入院しているにもかかわらず、ご主人は平日は接待で午前様、土日も接待ゴルフ・・・とぼやいていました。そのご主人もはもとより、おそらくそのご主人の周囲も「子供の入院」ということがわかっていても何の疑問もなく接待につき合わせていることと思います。きっと「子育ては母親がやるもの」だと決めているのでしょう。

日本の会社の構造上、そういう現状にならざるを得ないのかもしれませんが、問題なのは、そのような男性達(政治、メディア含め)が「少子化」について語っていることなのではないでしょうか。

もうひとつは、少子化の問題が働いている母親を焦点にあてているにもかかわらず、いまだに多くの人々が「子供は母親にそだてられるべき」と考えていることにも矛盾があります。 「母親はこうあるべき・・・」と言う人たちがまだたくさん存在しているのです。子供に何かあったときに「あの子の母親は働いているから子供に目が行き届かないんだ」と言う人がまだ山のようにいることでしょう。

日本の教育の現場はどうでしょうか? 先日、また別の友人は子供の通う幼稚園の先生との面接で子供の欠点ばかり指摘されたといって嘆いていました。まるで「母親が悪い・・・」と言わんばかりに。もちろん、先生にもよるかもしれませんが、比較的日本の学校の先生は子供の長所より短所を見つける傾向があると思われます。それでは母親は自信をなくし、これ以上子供を産もうとは思わないでしょう。

もう一つの例としては出産です。多くの先生、看護士は「産みの苦しみを味わうことが大事」と言い、無痛分娩はなかなか勧めてもらえません。麻酔を使うことの確実性の問題は確かにありますが、基本的な考え方は「産みの苦しみを味わうことが母親の義務」です。何不自由なく過ごしてきた私たちの世代に「苦労、苦痛」を強いれば、子供を産みたいと思う人は減っていくことでしょう。なぜ、「出産、育児」を「楽しみ」という考え方にしてはいけないのでしょうか?

アメリカでは赤ちゃんを連れて外出するといろいろな人が寄ってきてかわいがってくれます。こちらがびっくりするほど子供のことをよく誉めてくれます。そして見ず知らぬ人でも荷物を運ぶのを手伝ってくれ、子供が愚図れば「いないいないばぁ」をしたりして笑わせてくれます。そして、「こんなすばらしい子供がいて、あなたは幸せね」と人々は当たり前のように口にするのです。以前日本で働いていたときには子供を産むなんていうことさえ考えられなかった私でさえ、こんな日常をすごすとたくさん子供が欲しくなってくるのです。

■子供を産むことは失業することと同じ Hisako(関西在住、大手メーカー勤務、独身)

政治が世の中についていっていないだけだと思います。政治が世の中の変化にあわせていくことは当然のことなのに、今までの世の中の枠組みに今後も国民があわせていかなければならないといわんばかりの今の日本の政治には本当にあきれるばかりです。

もし子供――日本国籍を有する子供 つまりすくなくとも片親が日本国籍である子供――が大事ならなにも日本国籍を有する女が子供を産むことではない。施策はいくらでもあるはずです。世界人口は増加の一途をたどっています。ということは女性が産む子供の数は減っていない。しかし、そういう動きは見えませんね。日本国は、男女とわず「外国籍」の人を受け入れるようなしくみにはなっていない。

日本国籍を有する女に子供を産んでほしいなら――もっとも女は本来は誰かに頼まれて子供を産むのではないのですが――日本国籍を有し子供を産める年齢の女性に対して子供を産むことを躊躇しない施策を進めればいいのです。今の日本で子供を産むことはほぼ失業と同等です。いわゆる中小企業といわれる会社勤務の人たちは本当に失業するでしょう。大手にしても「病気」に対してはこれほど厚遇するのに、電機メーカーでさえ「産休」は欠勤扱いです。キャリアだ生涯賃金だと言い出したら、議論の余地すらありません。

私は、子供が授かれば産みたいし、生まれればできる限りのことはしてその子を一人前に育てようと思っています。(結婚するかどうかは別として)でも、今のところ到底そうしたいと思いません。結婚以前に、子供を産むのは本当にパワーがいることだと思います。(私は経験ありませんが、友人を見ている限り)子供は産みたいと思わない限り生まれません。これは子供を産むことの選択権以前の問題です。晩婚化 高学歴 いい加減にしてほしいです。少子化とはまったく無関係。仕事、して当たり前です。クレジットカードを作るのに保証人がいるという事実は、この経済社会のなかで「一個人」とは言いがたい。(にもかかわらず専業主婦の道を選んだ方はかなり勇気がある。ほとんど日本の教育がおかしいのだけだと思いますが。)

■少子化は悪いことなのか Pochi

子どもを産もうとする女性が得をするような社会にならなければ、子どもは増えないというご意見はその通りだと思います。

しかし、それだけでなく、女性にとって子育ての魅力が理解しにくくなったようにも思えます。私も男ですし専門家でもありません。したがって、これは個人的な感想というようにとってもらえればかまいません。そもそも生活程度が良くなり、学歴が上がり、いろいろな楽しみが増えれば子どもの数が減るのは当然でしょう。ちょっとやそっとの援助制度を考えたところで、子どもは増えないでしょう。

ある本で子どもを産まないのは「痛いからだ」ということが冗談めかして書いてありました。アメリカなどでは無痛分娩が主流だと聞きます。しかし、日本ではまだ少数派のように書いてありました。多分、こうした要因は無視されているのかも知れませんが、情報化社会では必ずしも無視できない要因でしょう。また、代理出産や代理母についても、もっと肯定的に考えても良いかもしれません。極論すれば職業としての代理母です。

そもそも少子化がそんなに悪いものでしょうか。少子化の良い面もあるはずです。少子化イコールマイナス要因として捕らえるのはどうなのでしょうか。疑問も感じます。今後、ロボットの発展等の要素も考えれば、近い将来の介護ロボットなどの実用化も考えられるでしょう。そうなったとき、多くの人間を必要としない社会が未来の社会のようにも思えます。