執筆者:大塚 寿昭【システム・コンサルタント】

平成17年の元旦、日本ではいつもと変わらぬ穏やかな年明けであった。

年頭にあたって各種マスコミも今年1年の様々な予想記事を発表している。その中には北朝鮮問題を中心に北東アジアの行く末について語られているものが数多くあった。

国際関係論的分析、パワー・ストラクチャーを見据えたリアリズムの観点からの見通し、そのいずれもが優れた分析であり頷ける点も多かった。しかしながら全体を通じて当事者である朝鮮民族の生の声を反映したものは少なかったように思う。

国際社会は軍事・経済の力のありどころの影響なくしてその存在を語ることはできない。冷徹に合理的にその力の存在を分析して自国の在り方を探っていくのは、国家を運営してゆく人々にとって当然にかけられた責務でもある。

では、リアリズムに則って分析した結果、南北の統一は困難であるという答えが現時点で出た場合、朝鮮民族の皆さんは納得するであろうか?「では、いつ?どういう条件が揃えば統一は可能なのか?」こうした問いが発せられるのは当然のことでもある。

統一後の経済的混乱は、南北の経済格差の大きさや同一民族間で血を流しあった過去の経緯から、東西ドイツの統一に比べ比較にならない困難が伴うというリアリズムによる分析結果から、統一を半ばあきらめている空気も韓国の一部にはあると聞く。

しかし分断国家である悲しみや苦悩は、外部の我々には推し量れないものがあると思う。

朝鮮民族の悲願、それは「統一」である。

シドニーオリンピックの入場行進以来、国際スポーツ競技会の場では南北の選手団が合同で「統一旗」を携えて、混ざり合いながら行進する姿が見られるようになり、今ではそれが常態になっていると聞く。最近韓国から帰国した友人の言では、韓国の一般庶民の感覚には、既に統一は既定の路線であるようなものがあったと言う。

遅まきながら朝鮮半島の歴史を学んでみたら、歴史上の殆どの期間は半島全域の統一国家が続いていたことがわかった。もちろん強大な大陸中国に現れた帝国の冊封制による属国的な時期もあったが、国家分断の状態であったのはごくわずかな期間である。

西暦676年の統一新羅成立以後、後三国(新羅、後百済、後高句麗の三国分立の時代 892年-936年)の時代を除いては、936年の高麗の半島統一から(1392年の李氏朝鮮成立から以降も)1910年の日韓併合による国家消滅までの間、朝鮮半島はずっとひとつの国であった。

従って朝鮮民族にとって半島がひとつの統一国家であるのはむしろ当たり前のことである。

1945年、日本の敗戦によって植民地から解放された時点では、朝鮮民族のうち誰一人分断国家になると予想した人はいなかっただろう。

この歴史を見ると日本の奈良・平安の時代と時を同じくして朝鮮半島でも統一国家が成立し、ほぼ同じような歴史を経てきているように思う。仏教の伝わり方もほぼ同じである。私事で恐縮だが最近深い関係になった天台宗の開基についても、日本の最澄(伝教大師)とほぼ同じく半島では義天というお坊さんが天台宗を開いたそうである。

私たちは東西冷戦構造によって南北に分断された状態を、ある程度常識として暗黙裏に受け容れているが、朝鮮民族にとっては受け容れ難い、民族の歴史上は異常な状態が60年続いているのである。

このことを私たちもよく理解する必要がある。

朝鮮民族の皆さんの本音は、リアリズムを超えて「統一は私たちの悲願である」と言いたいのではないだろうか?

朝鮮半島は米中2大国の利害が交錯する場所である。統一朝鮮が南寄りの国家になること(在韓米軍もそのまま)は、中国にとって受け容れ難いものであるし、北寄りの統一国家になることは、米国や日本にとっても受け容れ難いことである。

現時点におけるこの2大勢力の利益は、現状維持(ステイタス・クオ)が最も適していると考えているのだろう。北の脅威を叫びながら、実際には強力な力で抑制をする。そして一定の脅威を叫び続けることが、米中2大勢力にとって最も都合が良いことなのである。ここには米中の利害はあっても、朝鮮民族の悲願は存在しないのである。

統一朝鮮は米中どちらの脅威にもならず、どちらの利害も損ねない、等距離の交流を宣言して、専守防衛の武力を保持する「永世中立国」宣言をする。これから統一へ向かうにあたって、今の時点から統一朝鮮のイメージをここに置いて、2大国をはじめ周辺諸国に理解を求めておきながら統一の作業を進めることである。

しかしながら、この理想的な「永世中立国家」を成立させるためには、北の超閉鎖的独裁政権の消滅と在韓米軍の全面撤退が、ほぼ同時に行われなければならないという至難の条件が厳として存在する。この条件は一見不可能のようにも見えるが、全世界が「朝鮮民族の悲願」ということに理解を示せば実現への道も見えてくるのではないだろうか?

昨今の韓国の一部における反米・嫌米運動の根底には、明確に意識していなくとも統一への必須条件としての米軍全面撤退を潜在意識の中に持っているのではないだろうか?

日本を含むアジア諸国は、こぞってこの統一実現への協力を惜しまないようにしたい。

統一後、恐らく10年余にわたって未曾有の混乱が生じるだろうが、アジアは暖かく見守りながら具体的な支援を続けるべきだと思う。

もしこの理想的とも云うべき統一朝鮮が実現したならば、実は日本にとっても大変好ましいことである。まずは北の脅威が消滅することであり、統一時の混乱への献身的な支援によって醸し出される緊密な日韓関係が構築できるであろう。次に東アジアにおける米軍のありかたにも大きな影響を与えるであろう。

今日(1月10日)、シンガポールの国防相と大野防衛庁長官の会談ニュースが報じられた。そこにはアジアにおける米軍の存在を容認するメッセージがあったが、私には必要悪のように感じられた。

いつの日かアジアは自分たちで自分たちの安全保障をする。そんな日が来るための大きなきっかけになる。それが永世中立宣言による統一朝鮮の実現ではないだろうか。

蛇足になるが、統一朝鮮の国名は「朝鮮」も「韓」もどちらか一方には決め難いだろう。

いっそのこと(新)高麗ではいかがだろうか? 実は1980年に金日成が「高麗民主連邦共和国」を提言したことがある、しかしこの時は北の思惑が見え隠れしていたのかあっさりと忘れられたようだ。

次に首都の配置にしても平壌でもソウルでもどちらかにすることはできないだろう。これもいっそのこと高麗の首府であった開城にしてはいかだろうか? 地理的にも板門店の北約20キロと半島のほぼ中心部にあり、歴史的な場所ということもあって新首都に相応しいように思う。

大塚さんにメール E-mail:otsuka@giganet.net