新聞の分類 
全国紙、朝日、読売、毎日、産経、日経
ブロック紙 北海道新聞、河北新報、東京新聞、中日新聞、中国新聞、西日本新聞
地方紙、各県に1、2紙(全国に50以上)
ローカル紙、各県に30から10紙

■桐生悠々。朝日新聞から信濃毎日に転じた。部数は倍々ゲーム。6000が1万2000にそして2万部を超えた。これが昭和初期の地方紙。長野市中心で、松本には別の新聞があり、飯田にはまた別の新聞があった。「関東大空襲演習を喘う」で陸軍ににらまれる。今は同県に松本市民タイムスや南信州新聞などがある

■日露戦争では万朝報、都新聞、国民新聞などが張り合った。戦争を後押ししたのは都新聞。反戦は萬朗報だったが、発行部数がみるみる減って、幸徳秋水や内村鑑三が去った。

■高知ではむかしプロ野球の結果が掲載されなかった。
 地元で別刷りし、広告のように挟み込んだ。高松では悪天候で連絡船が欠航すると万歳した。四国新聞の屋上からみてNHKの電波塔が雲で隠れると欠航した。

■もともと新聞はローカルだった。 1万部もあれば大新聞だった。読売は東京の新聞、
 朝日は大阪の新聞だった。東京と大阪で販売。紙面は別々だった。
■通信 電話網だけが頼り。遠隔地は電信ハト。
■輸送 大八車とリヤカーの時代。国道1号といえども昭和30年ごろまで砂利道だった。

■何百万部などは戦後の話
 世界で何百万部などというのは人民日報とかプラウダの話。日本の全国紙のように広域的に何百万部というのは異例中の異例だ。そのおかげで何々刷り(版建て)というのがある。全国紙といえども大阪と名古屋と福岡、そして北海道、全部違う紙面なのだ。題字は同じだが、中身は違う新聞と思ってほしい。

■共同通信の始まり。
 戦前の同盟通信から生まれた。同盟はロイターやAPに並ぶ通信社だった。新聞がローカルだった時代に不可欠だったのが通信社。戦後、マスコミは新聞とNHKだけだった。それぞれ地方に収材拠点を持っていなかったからみんなで参画してつくったのが共同通信。時事は官公庁や企業向けニュース、電通は広告に特化した。
■人間端末 専用線の確保
■16個の穴 コンピューターテープ
 読み取る人間
■FAXは日本の発明
■ワープロ 共同の発明
■その後の通信網の発展はご存じの世界。インターネットとコンピューターのおかげで個人の発信能力が格段に高まる
■ニュースと記者クラブ制度。
 ニュースの9割が発表もの。当局や企業などによる発表。記者クラブはアメリカにもある。違いは参加資格が企業ではなく記者個人にある点。

1三重タイムズ(川越町)
2三重新聞
3伊勢新聞
4東海経済新聞社
5吉野熊野新聞社
6夕刊三重新聞社
7伊和ジャーナル
8三重ふるさと新聞
9紀勢新聞(尾鷲市)
10南海日々新聞社(尾鷲市)
11南紀新報社(熊野市)
12紀州ジャーナル社(紀伊長島)
13北勢民報社(桑名市)
伊勢タイムス(伊勢市))
三重報知新聞社(伊勢市)
おくしまタイムス(阿児町)