共同執筆者:宝田時雄、大塚寿昭、伴武澄【アジアの意思】

国際平和協会の研究会のひとつ「アジアの意思」(代表・宝田時雄)のメンバー3人が9月20日から四日の日程で台北市を訪問した。目的は陳唐山外交部長との面会である。併せてアジアに人を求める旅にしたいという会長の要望もあった。陳外交部長は直前に海外出張が入り、面談は実現しなかったが、同じ外交部の欧陽事務次官との会見が設定された。

欧陽事務次官との会見内容は先週、報告した通りだ。訪問先に台湾を選んだのは、台湾こそが20世紀のアジアの苦悩を引きずりながらも経済的繁栄を背景にぎりぎりの国家運営を続けている国だからである。言い換えるならば、中国と日本とアメリカの因子が複雑に絡み合い、何よりもアジアを色濃く残していると考えた。われわれは台湾に何を学んだか、何を残したか報告したい。

■アジアの安寧に靖献した先覚者への感謝

われわれは純粋な民間人として訪台した。単なる観光旅行ではない。かといって学術研究でもない。不思議な旅だ。宝田代表が台北駐日経済文化代表処の李世昌・文化組に訪台の趣意書を提出し、それを元に外交部からの招待状があったことを報告しなければならない。まずその趣意書を読んでもらいたい。

【国際平和協会「アジアの意思」台湾Meeting訪問について】

先にお送りいたしました日程にて貴国台北訪問をいたします。つきましては御多用のこととは存じますが、陳唐山外交部長との面会を希望しています

台湾の意思は「アジアの意思」というべき矜持を具えています。それは日本人が愛顧をもって映る在日台湾知識人の言動にも現れています。内政において李前総統、陳総統による経済の興隆と民生における黒金腐敗撲滅の施策があり、また、外交における泰然とした姿勢は、混迷とした外交に多面的、未来的な希望を抱かせます。

私たちは時空を超えて祖父の時代にどんな日本人であったか、また今はどうであるべきかを問い直しています。忌まわしい歴史の表層が恣意的に語られるとき、その深層にあったアジアの願いは、いま正にアジア人である私たちに問いかけています。

しかし、現在のアジアは経済が表層を飾り、真の経世済民が忘れられ、熱狂と偏見がアジアの意思を融解させているようにも見えます。また、政治もそれに付随するように鎮まりも無く喧騒を招き、腐敗堕落の徴を映して民生の不安を増幅させています。

以前、日本代表処の陳燕南文化組長の同行を得て青森県弘前市にある山田良政、純三郎兄弟の墓参顕彰に訪れました。それは華日の歴史を超越してアジアの安寧に靖献した先覚者への感謝でした。

その折、中央政治の要請を辞して台南県知事として民生を指導した郷愛ある現外交部長の人格を拝聴し感銘を抱くとともに、台湾の誠心な国家の繁栄を確信したものです。

つきましては、「人が人でなく、どうして国家が国家として成りえようか」と説いた貴国の哲人を想起し、誇りある台湾の矜持であるとともに、台湾一国にとらわれないアジアの意思として御教示賜りたく御面会を希望するものです。

■青でも緑でもない

のっけから出会いの会話である。

「民進党で台湾はどうなるんですか」

「わたしは緑でも青でもないよ」

台北市内の両替商のおばさんの話である。政治は嫌いだが、緑になって親が先生をバカにし始め、生徒は授業中におしゃべりばかりになったという。規律がなくなったと嘆く。

緑は民進党、青は国民党の意味である。この国では選挙になると、二色の旗が台湾全域を埋め尽くすことから色で政党を表すことが多い。

あるタクシーの運転手はこう言った。

「民進党に期待したんだがね。政権をとるとあいつらも賄賂をとることが分かった。国民党と変わらないよ」

政権が変わることへの期待とその後の失望がこの町を覆っているのが少し分かった。

80年代まで、台湾は国民党の一党独裁下にあった。大陸と違って商売の自由はあったが、政治的には重苦しい空気があった。秘密警察がいて人々は理由もなく逮捕された。経済的な自由があっても政治的には共産中国とあまり変わりはなかった。どちらにとっても中国はひとつだった。中華民国の首都は南京で、モンゴルまでが版図に入っていた。いつの日にかやってくるだろう大陸反攻のときまでの“臨時首都”が台北市だったのである。

この国の唯一の福建省の領土である金門島には要塞が地下に張り巡らされ、そこには戦時を漂わせていた。かつて蒋介石が唯一、共産党軍の上陸を撃退した激戦地である。

1987年、蒋介石を次いだ蒋経国総統がほぼ四〇年続いた本島の戒厳令を解除し、この国のかたちが変わり始めた。翌年に蒋経国総統が死去し、副総統の李登輝が総統になると国のかたちは急旋回した。国民党政権でありながら、中華民国の台湾化が始まり、なによりも総統を国民が選ぶ選挙を導入。野党の存在も認めて民主化を進めた。