執筆者:中澤 英雄【東京大学教授(ドイツ文学)】

■パレスチナ問題と宗教

パレスチナ問題が解決困難な原因の一つは、宗教が関わっていることである。周知のように、この土地は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教の聖地である。宗教が関与しなければ、領土問題は、ユダヤ人とパレスチナ人の間で、双方が折れ合い妥協する形での解決案も可能かもしれない。しかし、宗教が関わると、そういう現実的解決は困難になる。

1982年のレバノン侵攻でみずからの手をパレスチナ人の血で汚し、パレスチナ人に対してとうてい妥協的とは言えないシャロン首相が、イスラエルの安全という現実的考慮に基づき、ガザ地区の入植地全廃による「一方的分離案」を提案しただけで、シャロン首相はユダヤ過激派から非難されるようになっている。ユダヤ過激派はシャロン首相のガザ撤退案を、イスラエルに「エレツ・イスラエル」を与えたという神の約束への違反と見なしているからである。ユダヤ過激派の青年は1995年に、パレスチナ側に譲歩の姿勢を見せた当時の首相イツハク・ラビンを暗殺している。

イスラム過激派もまた、聖戦で死んだ兵士は天国に行けるとして、イスラム教の信仰を利用して自爆テロを行なっている。

イスラエルに大きな影響力を持っているアメリカはキリスト教国であり、政権担当者は国内の宗教勢力の意向を無視することができない。原理主義的キリスト教右派は、キリスト教シオニズムとも呼ばれるほどイスラエルに肩入れしている。それは、彼らが聖書の黙示予言を信じ、イスラエルの建国がイエス・キリストの再臨の前段階であると信じているからである。ブッシュ大統領自身がキリスト教シオニズムに影響されているふしがある。

■反ユダヤ主義とシオニズム

パレスチナ問題は、のちにパレスチナ人と呼ばれることになるアラブ系原住民が住んでいたパレスチナの土地に、ヨーロッパから多数のユダヤ人が乗り込んできて、イスラエルを建国したことによって生じた(ユダヤ人の入植はすでに、ヨーロッパで反ユダヤ主義が高まってきた19世紀の後半から始まっていた)。これはまさに植民地主義の一形態である。

反ユダヤ主義によってヨーロッパのユダヤ人がどれほど迫害されようと、それは元来、ヨーロッパ人とユダヤ人の問題であり、パレスチナ人には無関係のはずである。ところがパレスチナ人は、ヨーロッパの反ユダヤ主義のつけを支払わされる形で、土地を奪われ、難民と化したのである。

この植民地支配に対して、欧米のリベラルな知識人は表だった批判をひかえた。ナチスによる大量虐殺への同情、反ユダヤ主義への良心の呵責、そして自分もまた反ユダヤ主義者と呼ばれることへの恐れが絡まり合って、彼らの批判精神を萎えさせたのである。

しかし、パレスチナは当初、ユダヤ人国家建設の唯一のオプションではなかった。テーオドール・ヘルツルが19世紀の終わりにシオニズムを提唱したとき、彼は最初ユダヤ人国家の建設の土地として、ウガンダやアルゼンチンなども考慮していた。しかし、このような土地は、多くのユダヤ人の情熱を集めることはできなかった。その当時、西欧の多くのユダヤ人はユダヤ人国家の建設など非現実的な夢だと考えていたのである。そこで選ばれたのが、ユダヤ人の歴史および宗教と深く結びついているパレスチナであった。つまり、ヘルツルはユダヤ人の宗教的情熱をユダヤ人国家の建設に利用しようとしたわけである。

もしユダヤ人国家がアフリカや南米に建設されていたら、それは欧米諸国がアジア・アフリカに建設した通常の植民地の一つになっていただろう。そこでも白人による原住民に対する支配・搾取・差別が行なわれたかもしれないが、そこには、今日のパレスチナ問題につきまとう、ややこしい宗教的問題は存在しなかっただろう。アフリカや南米に建設されたユダヤ人国家は、通常の植民地として、いずれは南アフリカのように、原住民の権利を回復する形で脱植民地化されたことだろう。21世紀に入ってもなお、チェチェンやチベットのような異民族支配地域が世界各地には多数残ってはいるものの、人権や民族の平等性の見地から、植民地や異民族支配を恒久的に肯定する道義的な議論は成立しえない。

だが、パレスチナに建設されたイスラエルには、当分こういう見通しは立たない。宗教的理由がイスラエル建国を正当化し、植民地主義を覆い隠しているからである。

■シオニズムとユダヤ教

「シオニズム」という語を造語したウィーンの作家ナータン・ビルンバウムはこう述べている。

《シオニズムという語はシオンという語に由来する。シオンとはエルサレムにある丘の名前であるが、すでに太古の時代からエルサレムのことを指す詩的な名称であり、さらにまた、この都市がユダヤ人の国の焦点であると見なされていたので、さらに広くユダヤ人の国自体の詩的な名称であり、そしてまた、ユダヤ民族がパレスチナの大地に根ざし、パレスチナの大地と一体に結びついていたかぎりにおいて、ユダヤ民族のことを指す詩的な名称でもあった。ローマの軍団がこの一体性を解体したとき、「シオン」という語は憧憬のニュアンスを帯びるようになった。この語の中には民族的再生への希望が体現されたのであった。〔……〕シオンは、二千年にわたってユダヤ民族の生と苦悩の道の途上において同伴した、ユダヤ民族の理想になった。この理想がシオニズムの基盤であるが、無意識的な情動から思索的な意識が、苦悩に満ちた憧憬から活動的な意志が、不毛な理想から救済的な理念が生まれたときはじめて、シオニズムはこの理想の上に築かれることになったのである。》

ユダヤ人はその離散の歴史の中で、常にシオン=パレスチナへの帰還を夢見てきた。彼らがその土地に「憧憬」をいだくことは十分に理解できる。しかし、ユダヤ人のパレスチナへの土地請求権は、外部世界に対してはどのようにして正当化されるのであろうか?

パレスチナは無人の土地ではなかった。そこにはアラブ人が定住し、生活していた。ユダヤ人がその土地から最終的に追放されたのは、西暦135年のバル・コホバの反乱の失敗の時である。ローマ帝国はこの反乱を徹底的に弾圧し、ユダヤ人がパレスチナに居住することを禁じた。この時以来、ユダヤ人の世界離散=ディアスポラが始まった。したがって、ユダヤ人は少なくとも1800年間パレスチナから離れていたわけである(少数のユダヤ人はその間もパレスチナに住んでいたが)。1800年前までこの土地は自分たちの土地であったからこの土地をよこせ、という主張は、正当化の根拠としてはどう見ても無理がある。

ビルンバウムは非宗教的シオニストであったので、彼がユダヤ人とシオンとの結びつきを強調するときに持ち出すのは、「ユダヤ民族がパレスチナの大地に根ざし」、「民族的再生への希望」、「ユダヤ民族の理想」という民族主義的語彙である。つまり彼はユダヤ人のパレスチナ再征服=植民地化を民族主義として正当化する。そこには、シオンが、神がユダヤ人に与えると約束した土地である、という宗教的根拠はあげられていない。いや、彼は宗教的理由をあえて隠蔽しているとさえ言える。

シオニズムは当初みずからを、ユダヤ教とは一線を画す非宗教的・世俗的な政治運動と規定した。「神が死んだ」(ニーチェ)20世紀の時代において、パレスチナの土地を神の名において要求することはできなかったからである。しかし、シオニズムがいくら神を隠蔽しようとも、シオンへの「憧憬」は、神の約束という宗教的観念なしには継続しえなかったはずである。シオニズムとは、宗教的信念を隠蔽し、民族主義に仕立て直されたメシア主義運動と見ることができる。

だが今日では、宗教的理由によってシャロンまでをも神への裏切り者と見なすユダヤ教原理主義者が登場しているように、宗教的シオニストの勢力が無視できなくなっている。彼らはパレスチナが神によって与えられた土地であることを堂々と主張する。こうなると、「神との契約」は絶対なので、そこには交渉や妥協の余地はなくなる。国際社会がいくらパレスチナ和平を斡旋しようとしても、イスラエル人が「神の約束」という観念を放棄しなければ、パレスチナ問題は解決できないであろう。

■奇妙な約束

旧約聖書には、神ヤハウェがイスラエル人に土地を与えるという約束が書かれている。たとえば、創世記15章で神はイスラエル民族の祖アブラハムに、「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、カイン人、ケナズ人、カドモニ人、ヘト人、ペリジ人、レファイム人、ギルガシ人、エブス人の土地を与える」とある。また、出エジプト記第6章で神はモーセに、「わたしはまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した」と述べている。

だが、このヤハウェの約束は実に奇妙な約束なのである。この奇妙さを暴露しているのが、長谷川三千子『バベルの謎:ヤハウィストの冒険』(中央公論社、1996年)の一節である。長谷川氏の著書の本来のテーマは別のところにあるのだが、土地約束に関する氏の解説は啓発的である。

氏はおおよそ次のように述べている(同書36~39頁)。――ヤハウェがアブラハムに与えると約束した土地は、すでに別の民族が住んでいた土地であった。つまりヤハウェは、他人の土地を勝手にアブラハムに与えると約束したわけである。これはまことに「顰蹙すべき約束」である。だがこの約束は、ヤハウェが、イスラエル人の神であると同時に、全地の神でもあるという「一風変わった二重性格」によって担保されている。つまり、全地の神であるヤハウェがどの土地をイスラエル人に与えようが勝手というわけである。この神の約束に従って、イスラエル民族は他の民族の土地を侵略し、略奪した。その結果、イスラエルの建国にまつわる根本的な「暴力」が、いわば「正々堂々と公認されることになった」・・・

このような聖書の記述をひっくり返して眺めてみれば、そこに浮かび上がってくるのは、「神の約束」とは、本来、自分たちのものではない土地を横取りしたことを正当化するために持ち出された理由ではないのか、という疑惑である。

イスラエル人が定住する前に、カナーンの地に様々な民族が住んでいたことは、先に引用した創世記の一節にも示されている。その土地はまさに太古の時代においても諸民族の係争の地であった。その土地を最終的に奪ったイスラエル人が、それを神に与えられた土地として他の民族に主張するために作り上げたのが、聖書の中の「神の約束」という物語であり、「神の約束」とは、異民族殺戮・土地略奪を伴った建国を正当化するためのフィクションではなかったのか。

《彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。》(エリコ攻略)

《その日の敵の死者は男女合わせて一万二千人、アイの全住民であった。》(アイ攻略)

《彼らはしかし、人間をことごとく剣にかけて撃って滅ぼし去り、息のある者は一人も残さなかった。主がその僕モーセに命じられたとおり、モーセはヨシュアに命じ、ヨシュアはその通りにした。》(ハツォル攻略)

ヨシュア記には、イスラエルが神の命令に従ってカナーンの地の異民族を皆殺しにしたことが、誇らしげに記されている。

異民族殺戮=民族浄化を正義と認める「神」は恐ろしい神である。それは民族的エゴイズムの神格化にほかならない。

このように、イスラエル民族は太古の土地略奪を「神の約束」として正当化したのであるが、現代においても宗教的シオニストは、その土地の再奪略を聖書を根拠に正当化している。歴史は繰り返すようである。

だが、長谷川氏の考察には次のような逆説的洞察が含まれている。

《しかし、他方では、神による「土地の約束」が、これほど明瞭なかたちで建国の出発点に据ゑられてしまつたことは、或る難しい問題を生みだしたとも言へる。すなはち、イスラエルの民にとつて、その国土がいつまでたつても本当の意味での自分たちの土地とはなりえない、といふ問題である。カナーンの地は、あくまでも神との契約によつて、イスラエルの民へと授けられたものであるのだから、それは彼らにとつて、いはば永遠の「神からの借地」なのであり、決して自分たちの「持ち家」とはなりえないのである。》

神は、イスラエルが神との契約を守るかぎりにおいて、パレスチナの土地をイスラエルに貸し与えている。イスラエルと神との間には613もの契約事項(戒律)がある。当然のことながら、昔も今も、イスラエル人すべてが、すべての契約を守っているわけではない。契約が守られているかどうかの判定は、いわば神の気ままにまかせられている。神が契約違反を理由に、その土地をイスラエル人から取り上げようと思えば、いつでも取り上げることができる。それを示したのが、バビロン捕囚(紀元前6世紀)であり、世界離散であった。

神との契約を根拠にするかぎり、イスラエル人はパレスチナの土地を再度奪われても文句は言えないわけである。イスラエルがその土地を真の「持ち家」とするためには、「神の約束」という宗教的幻想を捨て去り、自国を植民国家と認め、原住民たるパレスチナ人との和解と共存に向かうしか道はないのではなかろうか。

#(追記)

アテネ・オリンピックの男子マラソンで、先頭を走っていたブラジルのデリマ選手が、観客席から飛び出してきた男に妨害された事件には、世界中の視聴者が驚いた。この男はアイルランド人の元司祭ということであるが、彼が持っていたプラカードには、

“TheGrandPrixPriest.IsraelFulfilmentofProphecySaysTheBible.TheSecondComingisNear”.

(グランプリ司祭。イスラエルに関する予言の成就を聖書は語っている。再臨は近い。)

と書かれていた。この男もキリスト教シオニストの一人なのであろう。この男はもちろん常軌を逸しているが、彼の観念を共有するクリスチャンは少なくない。こういう宗教的観念がパレスチナ問題の解決を困難にしている。

中澤先生にメール E-mail:naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp