ことしもミャンマーで胸キュンしたい社長さんたち
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
友だちが勤めている会社の社長さんに心温まる話を聞いた。同時に一隅を照らす人は語らずにいるだけで、数多くいるのだという感慨にふけった。
その社長さんは健康食品の会社を経営していて、同じ業界の社長さんたち三〇人に声をかけ、アジアを中心とする留学生や苦学生に「つくし奨学金」を給付している。公益法人でないから、会社の節税にもならない。そんなことなど意に介さない人たちなのだ。
毎年一五人の学生にほぼ二年間にわたり月額一〇万円を給付する制度はことし六年目に入った。これまで六〇人以上が「つくし奨学金」のお世話になっている。もはや小さな善意とはいえない。立派なフィランソロピーだ。
奨学金を支給される学生は大学の先生に推薦をしてもらうのだが、最近では中国人ばかりになっている。ネパールとかモンゴルといった小さな国の留学生にも役立ちたいと思っているが、これも仕方のないことなのかもしれない。
その社長さんが昨年からやみつきになっているのは、ミャンマーでの小学生へのノートや教科書寄贈だ。きっかけはミャンマーでの井戸掘り協力だった。これも同業者仲間の発想から始まった。首都ヤンゴンから車で南東に約三時間半走ったところにあるザルーンという村で井戸を掘った。ある留学生の故郷である。予算は百万円だったから、どうせ小さな井戸しかできないと思っていたが、出来上がってみると五本も掘ったという。しかもすべて電動モーター付きだと聞いて驚いた。
昨年、完成後の寄贈式があり、仲間でザルーンを訪問した。できれば貧しいところとかきたないところには行きたくなかったが、世話役の一人として行かざるを得なかった。せっかく行くならば子どもたちにノートや鉛筆などの文具を持って行こうとみなで考えた。結果的に一二〇〇人の子どもたちにノートを配ることになった。
ザルーンの小学校を訪れて子どもたち一人ひとりにノートを手渡した。ノートには日本語とミャンマー語で「君は希望の星。一隅を照らす人となれ」と印刷した。みんなうれしそうにノートを受け取った。
小学校の女の先生はこう言って感謝の意を表した。
「この子どもたちにとって一生忘れられないことかもしれません。中には大切にしまって一生使わない子どももいるかもしれません」
社長たちはみんなこの一言で胸キュンとなってしまった。「もうくせになりそう」と誰かが言った。
帰国してから「つくし奨学・研究基金」として本格的に募金がスタートした。お願いの案内にはこう書いた。
「つくし奨学・研究基金は医学・薬学の留学生を含む苦学生に奨学金を給付していますが、更に東南アジアの恵まれない子供達の教育支援の為に募金集めを始めました」
支援を計画しているのはミャンマーのほか、タイ、インドネシア、マレーシアで五〇万人に教科書とノート、消しゴム付き鉛筆の支援を目指している。もちろんノートには「君は希望の星。一遇を照らす人となれ」と印刷する。
日本がまだ貧しかった時代を覚えている社長さんたちはこの胸キュンをもう一度味わいたいと思っている。人のためというとかっこよすぎるから、自分たちの楽しみと考えている。
フィランソロピーは社会貢献ではない。本当は自分のためにすることなのだということを思い知らされた一日だった。