執筆者:中澤 英雄【東京大学教授(ドイツ文学)】

「ジャネット・ジャクソン事件とムーブオン」からの続き
http://www.yorozubp.com/0402/040214.htm
アメリカのマスメディアによって、民主党候補者レースのトップランナーに引き立てられたケリーとはいかなる人物なのか。
ジョン・ケリーは1943年生まれ、現在60歳。彼はエール大学卒業後、海軍に入隊し、ベトナム戦争中には危険なメコン・デルタ地帯で小型艇に乗って戦った。銀星章(これは戦闘でベトコン・ゲリラを殺した功績でもらった)、青銅星章、3つのパープル・ハート勲章(戦闘で負傷した将兵に与えられる勲章)を授与された(つまり、3回負傷したということになるが、いずれも軽微な傷であったようだ)。しかし、ベトナムから帰還後、ベトナム戦争に疑問をいだき、VietnamVeteransofAmerica(ベトナム帰還兵の会)を作り、さらにVietnamVeteransAgainsttheWar(戦争に反対するベトナム帰還兵の会)のスポークスマンになった。1982年にマサチューセッツ州の副知事、1984年に上院議員になる。私生活の面では、彼はテレイザ・ハインツ・ケリー(TeresaHeinzKerry)夫人と結婚している。彼には2人の娘がいて、テレイザ夫人には3人の息子がいる。これが彼の公式HPに紹介されている経歴の要約である。
http://www.johnkerry.com/about/
公式HPは父親について、第二次世界大戦中、DC-3機のパイロットに志願した、とだけ書いているが、彼の父は外交官で、ボストンの名家の出身である。彼はエリートとしての自分の出自を隠し、軍隊との関わりを強調しているように見える。

「彼には2人の娘がいて、テレイザ夫人には3人の息子がいる」というHPの説明にも示されているように、ケリーとテレイザは再婚どうしである。彼は最初、親友の妹であったジュリア・ソーン(JuliaThorne)という女性と1970年に結婚したが、1982年に別居、1988年に最終的に離婚した。2人の間に生まれた2人の娘は、今はケリーと一緒に暮らし、彼の選挙運動を応援している。ジュリアは建築家と再婚している。数冊の本も書いているので、なかなか知的な女性だと思われる。
http://bozemandailychronicle.com/articles/2004/02/15/news/03wifebzbigs.txt
1995年にジョン・ケリーと結婚したテレイザ夫人(現在65歳)は非常に興味深い女性である。オブザーバー紙によると、彼女の旧姓はティーアシュタイン・シモエス-フェレイラ(ThiersteinSimoes-Ferreira)といいといい、著名なポルトガル人医師の娘としてモザンビークで生まれた(モザンビークは旧ポルトガル植民地)。「ティーアシュタイン」というのはドイツ系の名前で、ドイツ系の血も入っているように思われるが、その情報はインターネット上には見つからない。彼女は南アフリカとスイスで教育を受け、英語、ポルトガル語のほか、フランス語、スペイン語、イタリア語ができる。スイスのジュネーブ大学では、現国連事務総長のコフィ・アナン氏と同級生だった。彼女も通訳として国連で働いた時期がある。
http://observer.guardian.co.uk/comment/story/0,6903,1130604,00.html
彼女は最初1966年に、ハインツ・ケチャップ会社のオーナーで、ペンシルバニア州上院議員(共和党)のジョン・ハインツ3世と結婚した。
ハインツ・ケチャップ会社とは、ドイツ移民の息子であるヘンリー・ジョン・ハインツが1869年に興した会社で、世界的な食品メーカーである。大統領の座をねらっていたジョン・ハインツ3世が1991年に飛行機事故で死亡したあと、彼女は5.5億ドルにものぼる膨大な財産を遺産相続した。
http://www.faz.net/s/RubEC1ACFE1EE274C81BCD3621EF555C83C/Doc~E34540431EBF143F19EDE3E03A9875170~ATpl~Ecommon~Scontent.html
彼女の情熱は環境問題である。すでに夫ハインツが在世当時からハインツ財団を作って、環境団体に多額の寄付をしている。
ケリーとテレイザは、1990年のアース・デイのときに、ハインツの紹介で知り合ったと言われている。さらに、ハインツの死後、2人は1992年にリオデジャネイロで開かれた「地球サミット」に共同出席した。1995年に両方の子供たちの前で結婚。先にあげたオブザーバー紙は、「環境に対する情熱が2人(テレイザとケリー)を結びつけた」と述べている。
以前はなかったのだが、ケリーの最近のホームページは、環境問題に熱心な慈善家テレイザを大きく売り出している。
http://www.johnkerry.com/about_teresa/
2人ともカトリック信者で、お祈りはラテン語で唱え、ケリーもフランス語が話せる。外国語が話せず、フランス嫌いのブッシュとは大違いのインテリ夫婦である。テレイザ夫人を通して、両者の国連、ヨーロッパ、カトリック世界とのつながりは濃厚である。ケリーにとっては、大富豪で慈善家のテレイザは、大統領となるための最大の助力者であるし、テレイザにとっては、ケリーは大統領になる可能性を持った2人目の夫である。いわば両者は互いに相手を必要としている。2人は、国際的で、知的で、環境問題に熱心で、大金持ちで、家柄がよく、理想的なカップルのように見える。
ただし、離婚から再婚までの間、ケリーはもてもての上院議員で、何人かの女性との関係が噂された。2000年の大統領選挙で、ゴア候補が副大統領候補として、ケリーではなくリーバーマンを指名したのは、ゴアがケリーの女性スキャンダルを恐れたためである、という情報もある。
日本でも報道されたが、最近、ケリーの不倫疑惑が浮かび上がってきた。これは、クリントンのモニカ・ルインスキー事件を暴露したニュースサイトの「ドラッジ・リポート」が報じたものである。真実なのか、単なる悪質な噂なのかは不明であるが、ケリーも相手の女性も関係を否定している。この件は主としてイギリスのマスコミによって報道されているのだが、アメリカのマスコミはほとんど報道していない。
http://www.iht.com/articles/129844.html
http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&cid=694&e=7&u=/ap/kerry_polier
アメリカのマスメディアが報道をひかえているので、すでに噂は下火になりつつある。そのため、この不倫疑惑はケリーの支持率に影響を与えていない。スキャンダル好きのアメリカのマスメディアが最初から報道をしないのは、ケリーをかばっているからだろう。
筆者にとってもっと興味深いのは、ケリーのもう一人の女性との「関係」である。その女性とはジェーン・フォンダである。
ジェーン・フォンダといっても、今の若い人にはあまりなじみがないかもしれないが、筆者のように、ベトナム戦争・大学紛争のさなかに学生時代を過ごした者には、忘れられない存在である。名優ヘンリー・フォンダの娘で、自身も女優になり、アカデミー賞主演女優賞を2度受賞した。しかし、彼女は単に銀幕の世界だけの女優ではなかった。彼女はベトナム反戦運動に身を投じ、反戦運動家のトム・ヘイドンと結婚した(その後離婚)。その反米的・親ハノイ的態度のために、「ハノイ・ジェーン」というあだ名を付けられた。最近では、CNNの創立者であるテッド・ターナーとの結婚と別居で話題になった。
http://www.zakzak.co.jp/midnight/hollywood/backnumber/F/000105-F.html
ベトナムから帰還したあと、ケリーは一時、ジェーン・フォンダとともにベトナム反戦運動を行なっていた時期がある。共和党系のニュースサイト「ニュースマックス」が最近、ベトナム反戦集会でジェーンとケリーが一緒に写っている写真を探し出し、サイトに掲載した。
http://www.newsmax.com/hottopics/Sen_John_Kerry.shtml
ケリーはベトナム戦争の英雄でありながら、反戦運動の闘士になった。軍人が悲惨な戦場を実際に体験して、反戦的になることは何ら不思議なことではない。それはある意味ではきわめて人間的なことであるとさえ言えよう。ただし問題は、彼がこの経歴を選挙戦でどのように利用しているか、ということである。
ジェーン・フォンダとの関係を指摘されて、ケリーは「自分がジェーン・フォンダと一緒に活動したときは、彼女があとであれほど過激になるとは思わなかった」と弁解している。また、自分の反戦運動は愛国の行為だった、かつての反戦運動は乗り越えなければならない、とも述べている。
今回の米大統領選挙では、ブッシュをはじめ、民主党の各候補者もベトナム戦争の影を引きずっている。ちょうどベトナム戦争世代がアメリカの政治経済の中心となってきたからであろうし(クリントンもベトナム戦争世代だった)、イラクでは今なお戦闘がつづいているので、よけいにベトナム戦争のことが連想されるのであろう。
ケリーの場合、ブッシュ政権の軍事強硬路線に反対する民主党支持者には、反戦運動家としての経歴をほのめかし、現在のブッシュ路線を支持する共和党支持者には、ベトナム行きを逃げたという疑惑があるブッシュとは違い、ベトナムで実戦に参加した、という経歴を誇示するという戦法を使う。二つの顔をうまく使い分けることができるのが、「中道派」としての彼の「当選可能性(electability)」を高める要素となっている。(続く)
中澤先生にメールは E-mail:naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp