内乱より秩序回復がいいに決まっているが・・・
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
しばらく萬晩報の編集から離れていた。本業が忙しかったのも理由だが、本当はそうではない。日本国がイラクへの「自衛隊派兵」を決める基本計画を閣議決定してからキーボードをたたく指が完全にストップしてしまったのである。思考停止といってもいい。
イラク戦争は大義なき戦いだったことはほぼ間違いないのだが、一方でわれわれがペンの力でその戦争を止められたのかと問われれば、そうではない。現実に戦争は3月に始まり、4月にはブッシュ大統領が戦争の終結を宣言した。米軍の追跡を逃れていたフセイン大統領もつい12月13日には拘束された。
弱肉強食ともいえるこの戦争がもたらしたものはイラクの破壊である。統治機構だけでない。石油生産から治安、そして電気や水道にいたるライフラインのすべてが破壊された。最近イラクを訪れた友人が「イラクは国家の体をなしていない」といみじくも語った。そしてあらゆる面で復興を必要としているのだとも言った。
イラクのこの現状を放置しておいていいと考える人はいないだろう。だが、復興への協力となると「待てよ」と考えざるを得なくなる。例えば、イラクへの自衛隊派兵を容認することはアメリカの対イラク政策容認につながりかねないからだ。
思考停止に陥るような状態になったのは筆者にかぎらないと思う。いまさら「大義なき戦争」だと声高に叫んでいてもイラクを戦争の前に戻すことはできない。アメリカ軍はイラクにとって侵略者であるから、直ちにイラクを立ち去れということもたやすい。
だが、イラク戦が過去の多くの戦争と違うのは、統治システムをことごとく破壊してしまったということである。それでなくともイラクは多民族、多宗派の対立構造を抱える。放置すれば、いずれ部族単位で雌雄を決する場面が必要となる。国内で血で血を争う事態になるのは必至だろう。内乱状態である。
内乱よりは秩序回復がいいに決まっている。
では直ちに復興協力に転ずるのかと問われれば困ってしまう。イラク戦に反対していた手前そう簡単にアメリカを認めるわけにはいかない。人間の思考回路はそう単純でないところに問題がある。
話は飛ぶ。9月12日付コラム「イタリア在住の飯田さんが翻訳した『反戦の手紙』」で紹介した『反戦の手紙』(ティツィアーノ・テルツァーニ著、WAVE出版)がめでたく来年1月末に出版されることになった。
テルツァーニ氏は30年あまりをアジアで過ごした著名なイタリア人ジャーナリスト。90年代後半からヒマラヤの見えるインドに隠遁していたが、9・11以降、再び「山を降り」、戦乱のアフガンを取材して手紙の形でイタリアの新聞に投稿した。
『反戦の手紙』は、9・11以降の世界を対立構造からとらえるのではなく、アジアの多元的な価値観からときほぐしてくれる。アジアの苦悩を理解する西洋人にとってもきっと伝道師の語る言葉のように・・・。イタリア語版は10万部を超える反響を呼び、英語やドイツ語でも出版されている。
そのテルツァーニ氏が日本語版に寄せた序文「わが日本の友へ」の一部が飯田氏のメールマガジンで紹介されているので転載したいと思う。『日本の友よ、つまりここで問われているのは、イラクに自衛隊を派遣するかしないか、派遣するならば今か後か、100人送るか1000人送るか、それとも2000人かなどということではないのだ。そのような問いは、国民のだれもを納得させて再当選をはたすために、アクロバットと妥協をつづけざるをえない政治家たちのジレンマにすぎない。そこには全人類的な価値への関心、正しいことや倫理的なことへの考慮などが完全に欠落している。むしろ私とあなたにとって問題なのは、暴力と戦争はなにも解決しないということ、きな臭いあらゆることに対して私たちは、たとえそれが「自衛行為」とか「人道的作戦」などというふうに説明される時も、もちうる力のすべてを以て反対しなければならないということを、どのような状況にあっても、自分の意志できっぱりと決意することなのだ。』
『イタリア人も日本人もない、わたしたちはみんな人間なのだ。あなたたちがその美しい島々のうえ、他の仲間から少しはなれたところにいるという事実は、あなたたちを何ひとつ守ってくれはしない。なんらかの形で暴力に加担すれば、やがて暴力があなたたちをも襲うことはまちがいがないのだ。』
『この先、わたしたち、それにあなたたち自身が暴力の犠牲者となることもありうる。だが万一そうなったからと言って、非暴力の姿勢を変えてはならない。だれに対する憎しみも決して抱いてはならない。なぜなら憎しみは憎しみだけを生むからだ。』非暴力』などというと、一部の人間の極端な思想だと思われがちですが、彼の言葉を借りれば、『私はあなたの子供を殺さない。だからあなたも私の子供を殺さないでくれ』というような、誰もがもつ、人間として当然な感覚に根ざした思想なのです。『憎しみは憎しみをうむだけだ』という理念を理解することは、そう難しいことではないと思います。」
「かつて私に『お前の恋人が陵辱されても、お前は黙っていられるのか』というじつに明快で、厳しい問い掛けをしてきた人がいました。『そうだ』と言い切れる力は、私にはまだありません。けれども、『その可能性を防ぐために、まずそいつを叩く』ということがあってはならないと思います。まして、『人道的戦争』と呼ばれるものの犠牲者のじつに八割以上が『間違い、もしくは副次的効果』による無辜の民間人である今の時代には。その犠牲者の親族・友人・民族から、テロリストは生まれるのです。」