(古いメモ書き。日時不明)

 2003年12月13日、フセイン大統領がついにアメリカ軍に捕まった。現在のイラクに法律はない。アメリカが絶対正義の空間である。だから世界はアメリカ軍がフセインをどう裁くか注目している。

 イラクという国家はイギリスによって人為的に造られた国家である。その前はオスマントルコの領土の一部だった。その昔はバグダッドが大サラセン帝国の首都だった。イラクという国家の塊(かたまり)が登場して70年程度しか経っていない。人為的に国境が形成されたばかりだから、国境をまたがるクルドなどという民族がいても、南部にシーア派という宗派の違うイスラム教徒がいたところでおかしくない。
 西洋の多くの民主国家や日本とは国家の成り立ちが違うのである。ヨーロッパの現在の国家の枠組みができるまで彼らは何百年も戦争を繰り返した。殺し合いの歴史といっていい。他民族による支配は当然のことだった。民族の浄化も行われたし、強権的皇帝も存在した。その最後の戦争が第二次世界大戦だった。
 その昔、国家とは暴力装置なりと考えられていた。レーニンは暴力でツアー体制を崩壊させたし、毛沢東は「革命は銃口から生まれる」という“名言”を残した。民主主義を声高に叫ぶアメリカもアフガニスタンを力でねじ伏せた。
 そういった意味でイラクではまだ力の支配が不可欠なのかもしれない。現にアメリカは力でフセインをねじ伏せた。タリバン後のアフガニスタンは国家統一どころか治安維持すらもままならない状態が続いている。そもそも国家を「暴力装置」と考えるのは「力」の要素抜きには国家統治は考えられないからだ。多くの先進国が民主主義体制となった今でも、力の空白を埋めきれないと
 イラクのフセイン大統領を批判するのはたやすい。だが、ヨーロッパがその何百年もか
かった歴史を一顧だにせず、自らの現在の価値観だけをもって途上国を批判するのであれ
ば、批判される側はたまったものではない。批判される側には自尊心がある。その70余年の歴史のイラクを一番長く統治したのがフセイン大統領なのである。