ゲリラ戦に参戦する覚悟はあるのか
執筆者:中澤 英雄【東京大学教授(ドイツ文学)】
イラク特措法は、戦闘地域と非戦闘地域の区別を前提としている。しかし、小泉首相でさえ、非戦闘地域がどこかわからないと言う。当然である。イラク全土が戦場だからだ。そのような状況の中で自衛隊を派遣することは、明白な法律違反である。自民党が、自分で作った法律を自分で破ろうとしてる。違法状態で派遣されるのであれば、自衛隊もたまったものではない。自衛隊を派遣するのであれば、最低限、新たな法律が必要である。
イラクではまだ戦争が続いている。それは正規軍同士の衝突から、ゲリラ戦へと移行した。ゲリラ戦には戦闘地域と非戦闘地域の区別はない。安全だと思われていた非戦闘地域が、あっという間に修羅場になるのが、ゲリラ戦である。
このゲリラ戦は、米英軍を中心とした国際部隊と、サダム・フセイン残党派+イスラム過激派の間で戦われている。後者が、米英とその同盟国によって「テロリスト」と呼ばれている勢力である。
「戦争とは他の手段をもってする政策の継続である」というクラウゼヴィッツの言葉は、戦争は政治的目的の追求の手段であることを語っている。この言葉を認めるのであれば、テロもまた「他の手段をもってする政策の継続」である。
イラクの「テロリスト」には明確な政治的目標がある。それは、米英軍およびその同盟軍をイラクから追い出し、旧サダム・フセイン体制を復活させることである。
常識的に考えて、復興活動は、戦争が終わってからはじめて開始できる。自衛隊が今イラクで水道工事を行なっても、それが破壊されたら、イラク国民に何の益ももたらさない。石油パイプラインが破壊されたように、自衛隊の作った浄水設備が破壊される可能性もある。日本がベトナムの復興に協力したのは、ベトナム戦争が終わってからであった。
では、戦争が終わらない間は、何もできないのだろうか。戦争中にできるのは中立の人道援助である。赤十字は、どちらの側の兵士でも、傷ついた兵士を助ける。ただし人道活動は、戦う両軍のどちらにも肩入れしない中立的なものでなければならない。もし一方に肩入れすれば、それは人道支援とは名乗っても、一方に加担する行為と見なされるだろう。
イラクの現状は、先に述べたように、米英軍を中心とした国際部隊と、サダム残党派+イスラム過激派の間のゲリラ戦になっている。後者にとってみれば、米英主導による秩序が確立し、イラク社会が安定しては、自分たちの居場所がなくなる。したがって、イラク社会をできるだけ不安定化させることが彼らの目的となる。だから、たとえ国際赤十字や国連が主観的には善意の非武装の人道援助を行なうつもりでも、サダム残党派+イスラム過激派からすれば、それらの国際的非軍事組織さえも、イラクを安定化させる英米側の勢力と見えるだろう。
「テロリスト」陣営が米英軍に対して軍事的勝利をおさめることは困難である。だが、彼らの目的は軍事的勝利である必要はない。米英およびその同盟国がイラクから出て行きさえすれば、彼らの目的は達成される。そのためには、「テロリスト」側はできるだけ混乱状態を長引かせ、ボディーブローのように占領軍を精神的、肉体的、経済的に疲弊させ、各国の厭戦気分を高めようとするだろう。テロリスト=ゲリラは膨大な一般イラク人の海の中を泳いでいる。彼らを根絶することは至難の業であろう。アメリカ軍はいまだにサダム・フセイン一人すら逮捕できないでいる。イラクというブラックホールに膨大な金が吸い込まれていき、やがてアメリカのような経済大国もたえられなくなる時が来る。
このような現状の中で、日本がイラクに自衛隊を派遣することは、日本が明白に米英の同盟軍となり、サダム残党派+イスラム過激派を敵と見なすと宣言することを意味する。すぐに戦闘行為に参加しなくとも、イラクに足を踏み入れたその瞬間から、日本はゲリラ戦に参戦したことになる。ゲリラ戦の中では、復興部隊といっても攻撃される可能性がある。「自衛」のためには、自衛隊が「テロリスト」を「殲滅」(石原都知事)せざるをえない場面も出てくるかもしれない。今まで中東ではきれいであった日本の手が、血で汚れる。
自爆攻撃を受けて自衛隊員に大量の死傷者が出たら、日本は途中でイラクから引きあげるのだろうか? 途中で逃げ帰ったら、何のための派兵になるのだろう? 一時的にアメリカにいい顔を見せるためか? それではアメリカは満足しないだろう。「テロに屈しない」と言うのであれば、どんな被害を受けても、イラクから「テロリスト」がいなくなるまで、自衛隊はイラクに居続けなければならなくなる。それは数ヶ月ですむ話ではないだろう。日本はアメリカと一蓮托生の運命を選ぶのか? だが、アメリカがベトナムで敗れたように、イラクでも敗れないという保証はない。
戦争を始めることは簡単だ。しかし、始めるときには、いつやめるかを考えておかなければならない。テロとの戦争も同じだ。イスラエルを見てもわかるが、そもそも武力でテロを根絶することは不可能に近い。テロとの戦争は永久戦争になる。自衛隊を派遣するのなら、日本はいつテロとの戦争から降り、自衛隊を引きあげるのかを考えておかなければならないだろう。それなしに自衛隊を派遣することは、無責任である。
イスラム過激派はイラクにだけいるのではない。彼らは世界各地でもテロ活動を行ない、厭戦気分を高めようとするだろう。日本がイスラム過激派を敵に回した以上、彼らが日本をも標的とすることは必然である。日本国内ばかりではなく、海外の大使館、日本企業、旅客機、旅行者などもテロ攻撃の対象となる。「テロリスト」にとっては、警備の厳しいアメリカ関連施設よりも、警備の甘い日本のほうが狙いやすい標的だろう。自衛隊員ばかりではなく、非戦闘員の文民や民間人も「テロとの戦い」の犠牲者となる――イラクで殺された2人の外交官のように。自衛隊を「活用」することによって、日本の「自衛」状態は以前よりも悪化するだろう。
小泉首相が「テロに屈しない」として、自衛隊をイラクに派遣するのであれば、今後、日本は、膨大な戦費を使い、人命を失い、しかも米英の走狗となったことによって、多くのイスラム教徒から敵視され、今後は米英と同じようにテロの恐怖の中で生きることを覚悟しなければならない。それでも自衛隊を派兵するというのであれば、首相は、それが「国益」となるということを、国民に十分に納得いくように説明していただきたい。
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