匿名性に隠れる日本の新聞記者
執筆者:成田 好三【萬版報通信員】
政権選択が問われた総選挙は、奇妙な結果に終わった。民主党は躍進したが政権は取れなかった。自民党は議席を減らしたものの、公明党との連立で衆議院での絶対安定多数を確保した。
選挙結果により二大政党の時代に入った。だから、共産党、社民党、選挙後に解党を決めた保守新党はらち外と考えると、今回の総選挙は勝者も敗者もない戦いになった。今後の連立政権では、自民党と選挙協力した公明党の影響力、発言力が確実に増す。唯一の勝者は公明党かもしれない。
自民党はもはや単独では、公明党の協力なしでは総選挙を戦えなくなった。党全体としても、個別の候補者の多くにしてもそうだ。耐用年数をとうに過ぎた保守政党を、一つの巨大な宗教団体に丸抱えされた政党が支えて政権を維持する。保守新党が解党を決めたことで、もはや緩衝材はなくなった。連立政権の絶対安定多数は、言葉の意味とは逆に極めて不安定なものになるだろう。
前置きがだいぶ長くなった。本題に入る。総選挙開票翌日の11月10日、連立政権維持を決めた小泉純一郎首相が自民党本部で記者会見した。選挙後初の首相会見だから、NHKがテレビとラジオで生中継した。筆者は車の中で、ラジオからこの会見を聞いた。そしてこう感じた。
「日本の新聞記者は何も変わっていない。何も分かっていない。自分たちが置かれている立場を知らない。いや、知ろうともしない。彼らはそうしたことを理解する能力に欠けている」
この会見は自民党本部で行われたから、自民党詰めの記者クラブが主催したものだろう。会見の冒頭で司会・進行役がこう念押しした。「所属する会社名と姓名を名乗った上で質問をしてください」
会社名とフルネームを名乗った質問者は誰一人いなかった。社名と姓だけを名乗る質問者もいたが。多くは社名だけだった。社名も姓も言わず、いきなり質問する記者も多かった。
日本の新聞記者(通信社記者、TV記者も含む)は、時と場合と場所によって、巧妙に自らのスタイルを使い分けている。
国内では最近になってようやく実現したことだが、彼らは外国人記者の交じった会見では、自らの会社名と姓名を名乗った上で発言する。姓名といっても多くは姓だけだが、それでも彼らはこうした会見では、「○○新聞(TV)の△△ですが――」と前置きして質問に入る。
しかし、そうしたスタイルはよそゆきのものにすぎない。彼らは、会社名はともかく自らの姓名を名乗ることを好まない。
自民党総裁選に関する記者会見を2回、TVの生中継で見た。1回目は9月20日、小泉首相の総裁再選決定後初の会見だ。この会見で記者たちは、○○新聞、××TVと彼らの所属会社を名乗ったが、一人として自らの姓名を明かした記者はいなかった。
その翌日、小泉首相の組閣後の会見では、一人として姓名はおろか会社名さえ名乗らない。匿名のメディアの匿名の記者が、日本の最高権力者にあれやこれやの質問を繰り返す。
組閣後の会見は首相官邸詰めの記者クラブが主催したものだろう。質問する側も答える側もいわば身内の関係にある。政治家と政治記者たちは、そうした閉ざされた関係を長いこと続けてきた。
匿名性が許されるのは、会社名や姓名を名乗る必要のないほど、取材する側と取材される側との関係が緊密であるということだ。彼らは双方とも小競り合いを繰り返してきたのだろうが、そうしたことは予定調和の範囲内のことである。
彼ら双方の予定調和は、リアルタイムで中継するTVカメラが会見場に入り込んで以来、崩れてしまった。TVの前の視聴者は答弁だけでなく、質問も評価する。質問者個人と彼の所属する会社も評価の対象にしている。そのことを認識できないでいるのは彼ら、取材する側の人間だけだ。
会見は質問と答弁が一体となって成立する。取材される側が責任をもって語ることは当然の義務だが、取材する側にも責任をもって尋ねる義務がある。責任と匿名性は本来、両立しない概念である。
取材する側にとって、会見は単に記事の材料を得る場であるという時代は過ぎた。取材する側も当事者なのだ。取材される側と同じく、舞台に立つ役者のようなものだ。新聞記者はもはや黒子ではない。双方とも国民から監視される存在だ。だから、取材する側にも見識が必要になる。私は、あるいはわが社はこう考えるが、という前提が質問には必要なのだ。しかし、そうした前提をもった質問者には、まずお目にかかれない。
リアルタイムで中継するTVカメラにさらされた上で、取材する側は匿名性に隠れて、何を国民に伝えようというのだろうか。
(2003年11月14日記)
成田さんにメールは E-mail:narita@mito.ne.jp スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/