復興支援は出血で
執筆者:大西 広【コロンビア大学東アジア研究所招聘学者】
先日の中野有さんと美濃口坦さんのコラムに触発され、イラク復興事業のあり方について意見したいと思った。
そこでまず表明したいのは中野さんの「アメリカの軍需産業を宇宙産業に」との意見への賛意である。これは宇宙産業が緊急に必要との趣旨からではなく、好戦勢力の圧力をかわす為の政治的趣旨からである。以前、鄧小平は改革開放によって職を失う膨大な官僚層向けに彼らが(この言葉自体は後のものだが)「下海」と称して企業家となっていく道を用意した。これなしに「保守派」を抑えて改革を推進できなかったという意味で抜群の政治的判断であった。
が、実はこれと同じ意味で心配なことがある。美濃口さんの報告ではイラクにおける米軍の不要な破壊がアメリカやその支援国の「復興需要」を作り出すためのものだったとイラク人たちに思われているということである。つまり、この戦争は石油のための戦争だっただけではなく、復興事業に関わる諸業界も受益者として関与していたと疑われている。そして、この考えを延長するとき、本来は「好戦的」でない建設業やプラント業界までもがこの利益によって好戦勢力に丸められてしまったと読まれうるからである。
日本でも建設業界との関わりの強いと言われる自民党内の諸派閥に対する首相サイドからのそうした抱き込み工作はなかったのであろうか。
もちろん、この「疑い」を私は何らかの手段で証明することはできない。それは新聞社の政治部記者の仕事であろう。がしかし、それでも確実に言えることは、イラクや世界の人々にそう思われているということだけで実は既に重大であるということである。
したがって、問題は復興需要に関わる企業家たちがそのことを十分配慮した行動をとられることである。日本は国際社会の中では少数派の戦争支援国であった。また、日本の支持なしにはアメリカの攻撃がなかった可能性さえ大きい。そのような国の企業が今後イラクで配慮のない商行為を行なったとき、アメリカの軍需産業や石油業界と同じ「死の商人」と思われる可能性を否定できない。復興に参与すること自体を否定しないが、参与するのであればそれは是非是非その「誤解」を受けないために出血事業でなされたい。日本という国全体の国際的評判に関わるからである。
関連で言うと、5月23日付け共同通信の記事にポーランド政府が各種復興事業への参与を「戦利品」のように誇っているということが書かれている。グダニスク石油精製所がイラク南部の石油精製事業に参画し、またその他インフラ整備などでも多くのの受注が見込まれているようである。
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2003/iraq2/news/0523-1054.html
しかし、これではあまりにあさましい。「戦利」のためなら数万の他国民を殺してよいと考えるなら,これまで積み重ねられてきた人類史とは何だったかということになるからである。
そもそも日本における戦争支持論にはそれでこそ日米を維持しえ、よって自国の安全を守れるというものであった。この真偽自体も相当怪しいが、もしそれが真実であったとしても、その「国益」のために他国民の大量殺戮(戦争)までもが許されるのであろうか。「国益中心の外交」が叫ばれそれ自体ある程度理解できるが、それでも他国民の生命に関わる判断までをも「国益」によってできるのだろうか。「国益」あるいは「企業利益」追求のガイドラインというものを今こそ明確にしなければならないと私は思う。
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