“虐殺”しか思い浮かばないバグダッド攻撃
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
アメリカ、イギリスが国連決議案の採決日程を延長したり、修正したりと対イラク戦開始に向けて少々ダッチロール状態だ。そうだろう。たとえイラクがならず者国家であり、「悪の枢軸」を形成していたとしても、まだ何もしていないそのイラクに先制攻撃を加えることはあまりにも理不尽であるからなのだ。
アメリカの対イラク戦がどのような形で始まるのか。これがまったく想像ができないのである。
すでに飛行禁止区域を制している状況でイラクを攻めると言うことは直ちに首都バグダッドを攻めることを意味する。イラクの南半分はすでに「飛行禁止区域」となっていて、これまでも米英の航空機による爆撃がし放題であったから、大規模な正規軍がいるはずがない。またアメリカの本当の狙いがサダム・フセイン打倒にあるのだから、なおさらバグダッドを攻撃しなければ目的を果たせない。
だから最初から城攻めになる。悲惨な結果を招くことがあらかじめ分かっていてアメリカとイギリスはイラク攻撃をしようとしているのだ。
しかし、よくよく考えると、バグダッドへの先制攻撃は、開戦のその日から500万人弱の生活者を阿鼻(あび)叫喚の状態に陥れることに等しい。正規軍同士の激突もないうちに、非戦闘員である市民が最初の犠牲になる。そんな戦争がかつてあっただろうか。そんなものは戦争でもなんでもない。単なる虐殺だ。
これまでの戦争でも非戦闘員である市民が大勢犠牲になってきた。ベトナム戦争では多くの村がアメリカ軍の攻撃の的となった。その場合でも、ゲリラの拠点であるとの疑いがなかったわけではない。いったん戦争が始まれば、非戦闘員といえども相手国民は「敵」と見なさざるをえないケースも出てこよう。だが、緒戦から非戦闘員が攻撃の的となった戦争はまずない。
戦争は正規軍同士の戦いだから、その昔、戦闘は野っ原や大海原で行われた。城攻めは敗れた正規軍が逃げ込んだときに行われた。非戦闘員に被害が及ぶ可能性が出るのは、正規軍が戦闘に敗れて町に逃げ込んだ場合である。その場合でも、軍隊は事前に市民や町民に避難を求めた。そんなことがなくても、市民や町民は自発的に避難する知恵を持っていた。
だが今度の対イラク戦はそんな悠長さもない。
アメリカ合衆国は、曲がりなりにも民主主義のリーダー国家であることを誇りに思い、自由と平等を国家存立の理念としてきた。今でも虐げられる民を受け入れ、亡命を認める寛容さを持っている国家である。そんなアメリカの大統領がのっけからイラク国民に対する虐殺行為に踏み切れるはずがない。
だから、バグダッドへの先制攻撃が本当に現実的なのだろうかと考えると答えはどうしても「否」としか出てこない。
戦争はどちらかが先に発砲することから始まる。源平時代のようにお互いが名乗りあって合戦をしたのは昔々の話である。歴史が示すように戦争は勝った方が正義。そして最初に撃った方が「先制攻撃」の汚名を着せられる。どういうわけか最初に手を出した方が負けるケースが多いのは、強者が弱者を窮鼠(きゅうそ)猫をかむような状態にまで追い込むからでもある。
対イラク戦が10年前と違うのは、イラクが先制攻撃をしてこないことである。どう考えても「大量破壊兵器を放棄しないと攻撃するぞ」というのはむちゃな要求である。否、脅しに等しい。そもそも攻撃を前提にした武装解除要求を相手国が受け入れる道理はどこにもない。
10年前、パウエルがバグダッド攻略をしなかった背景には都市攻撃による惨劇を避けようとする配慮があったからだろうと想像している。人口500万人のバグダッド攻撃は、すでにソ連時代に破壊され尽くしていたアフガニスタンのカブールとはわけが違う。
今晩ブッシュ米大統領とブレア英首相、そしてスペインのアスナール首相が大西洋のアゾレス島で緊急会談する。ほぼ60年前にアメリカのルーズベルトとイギリスのチャーチルが大西洋上で大西洋憲章に署名した。
1941年8月14日、両国はドイツとの戦いについて次のように定義し、その理念を掲げた。
「陸、海および空の軍備が、自国の国境外における侵略の脅威を与えまたは与えることのある国々において引続き使用される限り、いかなる将来の平和も維持され得ないのであるから、両者は、一層広範かつ恒久的な一般的安全保障制度が確立されるまでは、このような国々の武装解除は欠くことのできないものであると信ずる」「両者は、すべての国民に対して、彼らがその下で生活する政体を選択する権利を尊重する。両者は、主権及び自治を強奪された者にそれらが回復されることを希望する」