私のアメリカ観察-アジア系差別
執筆者:大前 仁【ジャーナリスト】
私は二ヶ月前に東京に戻るまで、米国の首都ワシントンで九年間暮らしていた。留学先の大学院を卒業した後、最近まで日本の大手新聞社の現地支局で記者の仕事をしていた。今回は米国生活を終えたことに伴い、自分の体験、米国や米国人への観察を簡単にまとめてみたい。
ただ、判で押したような「米国総論」や「日米比較」を論じるつもりはない。あくまでも、私が見聞きたした事柄を紹介し、自分なりの考えをまとめてみる。そこでは、ある疑問を投げかけながらも、きちんとした答や結論が出せないことがあるかもしれない。それでも、米国を「考える」ための一つの作業として、付き合っていただければ幸いだ。
一回目の今回は、多人種国家である米国の宿命ともいえる人種差別の問題に触れたい。その中でも、私自身が経験したし、記者として強い関心を払ったアジア系米国人や住民への差別問題に焦点を合わせる。
私は日本に一時帰国した際などに、「米国で人種差別にあいますか」と尋ねられることが少なくなかった。しかし、いつも答に窮してしまうのだ。これまで、白人の男性にあからさまに差別的な言葉を浴びせられたことは一度だけあった。(この時は自分も汚い言葉で言い返した。)また、黒人の子供たちに「おーい、ジャッキー・チェン」と声をかけられたり、黒人やヒスパニック系の大人に「お前はブルース・リーに似ているな」と言われることは少なくなかった。(事実、私はブルース・リー系統の顔立ちをしている。)
しかし、最初の出来事を除くと、他については「あからさまな人種差別だ」と本気で腹を立てる気にはなれなかった。何故ならば、そのような発言をする人たち(例外なく、彼らは全て黒人かヒスパニックだった。これは事実としてだけ明記する)は人種に関する適切な教育を受けてないし、何も考えないで言葉を口に出しているだけに思えてならないからだ。ただし、これが差別といえば、確かに差別なのかもしれない。
それ以外の場合には、どのようなケースが日本人である私に対する人種に基づいて差別しているのか、または単に相手の対応が悪いだけなのか、明確に区別することが難しかったのだ。ある店で店員の私への対応が悪かったとする。しかし、その店員が他の人種の客にも悪い対応をしていたとしたら、これは私に対する「人種差別」と呼べなくなる。だから、私は今でも「米国で人種差別を経験した」と明言することを躊躇してしまうのだ。
新聞社時代の日本人の同僚では「人種差別を受けた」と口にする人が少なくなかった。例えば、米国の航空会社は昨年九月の同時テロ以降、搭乗前の乗客を一部任意で選び、厳密な手荷物検査することを義務付けられるようになった。これは米国人の間でも不評だが、テロ防止策の一環として渋々従っている。私の同僚の何人かも例に漏れず、この手荷物検査に引っかかったようだ。その結果、「自分たちがアジア系だから、差別的に選ばれたのだ」と憤慨する声を少なからず聞くことになった。
私自身もこの手荷物検査に引っかかったことがある。靴まで脱がされるのだから、気持ち良いものでない。しかし、私の手荷物が調べられたのは十回搭乗したうちの一度くらいの割合に過ぎなかった。(ちなみに、先ほども触れたように、私は険しい系統の顔立ちである。「テロリストのようだね」と言われたこともある。)
米国南部ノースカロライナ州の空港では、私の前で搭乗しようとしていた、いかにも善良そうな白人の老夫婦が検査のターゲットになっていたこともあった。この時の私は戸惑う老夫婦を横目にしながら、すいすいと飛行機に乗り込んだわけだ。だから、私個人はこの手荷物検査の件だけを取り上げて、アジア系への差別うんぬんを語る気にはなれないのだ。もちろん、他の人はそれなりに違う捉え方があるのだろうから、私の考えを強制する気は毛頭ないのだが。
ここで一点だけ、はっきりとさせておきたいのだが、私は何も現在の米国でアジア系米国人や住民への差別がなくなったと主張しているのではない。現在でも差別は残っていると思う。ただし、手荷物検査の件でみられたように、どの問題を取り上げて、差別と断定するのかが簡単でないことを指摘したいのだ。
米国内でのアジア系への差別を遡ると、古くは十九世紀半ばに米国に来た中国系の移民が大陸横断鉄道の建設で酷使された例がある。また、ここで詳しく説明する必要はないが、第二次大戦の開戦直後から、合法的な米国市民であるはずの日系人が強制収容所へ移された「恥ずべき歴史」もある。
ここ五-六年でも、一九九六年の大統領選の際に、アジア系が違法献金した疑惑をめぐり、メディアや議会の対応が問題となった。また、台湾系米国人の科学者が中国へ核兵器に関する情報を流していたという疑惑をめぐり、他のアジア系科学者への差別的な言動が急増する事態も生じた。
このような状況下で、アジア系米国人の活動団体では米国内でアジア系を対象にした憎悪犯罪が増えていると主張するところが多い。司法機関がこれらの犯罪を厳しく取り締まり、罰するべきだと訴える。一方で、これとは違う切り口や政治的な信条からアジア系への差別問題を取り上げる声も台頭している。その代表格は、アジア系女性として初めて入閣したエレイン・チャオ現労働長官だ。台湾生まれの同女史は、家族ともどもに少女時代に米国へ移住。言葉の壁に悩まされながらも立身出世した「アメリカン・ドリーム」の体現者であり、信奉者でもある。
チャオ女史は「アファメティブ・アクション」と呼ばれる、少数派の進学や就職を優遇する制度が、結果的にアジア系差別に繋がっていると主張する。この制度では、全米各地の大学や公共機関が黒人、ラテン系、アジア系という少数派の人口比などにあわせて、それぞれの人種が進学や就職できる枠を設けている。
同女史は、ある少数派では高校の成績が良くない生徒でも割り当てに助けられて大学に進学できる一方、アジア系のように優秀な生徒が多い少数派の中では本来は進学を優遇するはずの制度が逆に進学できる生徒数の上限を設けていると指摘。このような状況が、「本当の意味のアジア系差別を生み出している」と断言する。女史はクリントン前政権時代、人種問題に関する政府の諮問委員会でも、この点を主張して譲らなかった。
このような主張は共和党を中心とした保守派に浸透している考えの一環だ。アジア系のチャオ女史が同制度の廃止を口にするからこそ、より効果がある一面も見逃せない。他のアジア系の活動家では、「アジア系に対する憎悪犯罪などは根拠のない被害妄想に過ぎない」と、同じアジア系の叫びを一刀両断する声もある。
私個人はこれらの〝アジア系右派〟の主張に全面的に賛同することは出来ない。彼らや彼女らアジア系が「人種の違いを論じる前に、自分が一人の米国人として強い人間であるべきだ」と己を律する姿勢には共感、尊敬できる。しかし、その考えをすべてのアジア系へ押し付けようとすることには無理がある。また、社会的な弱者への思いやりも欠けていると言わざるを得ない。すべてのアジア系が彼らのような精神構造の持ち主ではないのだから。
さて、私は前に「人種差別を簡単に判断することは難しい」と書いた。その一方で、米国内でアジア系への差別も残っていることも記している。だから、この項を理路整然とまとめることは非常に難しい。それでも、アジア系米国人である私の友人のエピソードを添えて、相応のまとめとさせてもらいたい。
この友人は台北生まれで、十歳の時にロサンゼルスへ移住。現在は中国系として初めて下院議員に選出されたディビッド・ウー議員(民主党・オレゴン州選出)のスタッフとして働いている。この友人と出会うきっかけとなったのは、前述した台湾系科学者による核機密の遺漏疑惑だった。
その反動として、米国各地の研究所などで、アジア系科学者への差別的な言動が急増したことは先ほども触れた。ウー議員は父親が科学者だったこともあり、このような事態を見逃せなかった。アジア系科学者への差別を糾弾する決議案を提出し、下院本会議で全会一致の可決に導いた。この時の取材を通じて、知り合ったのがこの友人だった。
当然ながら、友人は米国内でアジア系への差別や蔑視が残っていることを思わしくないという。上司のウー議員のように社会問題として取り上げて、問題提起する必要がある。しかし、多くのアジア系活動団体が自分たちを被差別者とみる意識が強すぎるという。
アジア系米国人は「差別されている」と泣き言を繰り返すだけでは駄目だ。殴られた場合は、「時には殴り返す必要もある」という。社会の同情を買おうとするだけでは問題解決に繋がらない。時には強さを誇示して、自らの手で差別を排除していく必要もあるという。前述の〝アジア系右派〟の人々を除くと、アジア系米国人から、このように強い言葉を聞いたのは初めてだったし、感銘した。そして、彼と友人になるには多くの時間を必要としなかった。
さて、米国内のアジア系をめぐる政治・社会的な状況は悪化しているのだろうか。そうではないと思う。前述の九六年の大統領選に関する違法献金疑惑をめぐり、一時的な打撃を受けたことはあった。それでも、その後の二つの政権で、チャオ女史をはじめとして、延べ三人のアジア系が閣僚入りしている。(それまで歴代の政権でアジア系閣僚は一人もいなかった。)
また、台湾系科学者による機密遺漏疑惑と、その後のアジア系への差別の問題をめぐり、議会内で公聴会が開かれたことがあった。その際には議会有力者である日系のロバート・マツイ下院議員(民主党・カリフォルニア州選出)が白人のFBI調査官を厳しく問いただす場面が続いた。何もこのことだけを取り上げて、米国内のアジア系の地位が格段に向上したと主張するわけでない。
しかし、「人種差別」という難しい問題をめぐり、アジア系米国人が議会という場で白人を問いただす環境はすでにあるのだ。この点は明記しておいていいだろう。アジア系をめぐる状況は「一歩後退」したことがあるものの、確実に「二歩前進」している。
最後に、米国内で同時テロ直後に起きた中東系米国人や住民への迫害問題を完全に無視して筆を置くことは出来ないので、簡単に触れよう。テロ発生以前にも、米国内で中東系への蔑視があったのは間違いないだろう。テロ事件が差別への引き金になったことも否定できない。
しかし、テロ発生直後の米国民は未曾有の衝撃に襲われて、尋常でない精神状態にあったといえる。だから、その点を無視して中東系への迫害問題は語れない。そして、今回のアジア系への差別問題と同系列で語ることは出来なかった。これは別の機会に考えなければならない問題だろう。