執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

韓国には日々のページ・ビューが600万というインターネット通信社があると聞いて驚いた。アジアプレス・インターナショナルの野中章弘氏が月刊「東アジアレビュー」(東アジア総合研究所)の7月号に「韓国インターネットジャーナリズムの勃興」と題して韓国のウェッブ・ジャーナルの現状を報告している。

くだんのニュースサイトはソウルに本社を置く「オーマイニュース」。全国に8400人の市民記者が登録していて、彼等が送ってくるニュースをウェッブ上に掲載しているそうだ。野中氏によると、常勤記者も50人いて、掲載記事は1日120本程度。8割が市民記者による取材記事となっている。

収入の80%がバナー広告で、15%がポータルサイトでのコンテンツ販売料。経営的にはまだ赤字だというが、600万ページ・ビューという数字は日本の大手新聞のサイトに匹敵する。人口が日本の三分の一の韓国であるから、日本でいえば、2000万近いページ・ビューということになり、これだけで巨大メディアと呼んでもいい。

「オーマイニュース」の考えは、萬晩報が5年前に「通信員」を募集した際の発想とほとんど同じで、そういうことを実現した韓国のダイナミズムには脱帽せざるをえない。

萬晩報が通信員募集で5年前に呼びかけたのは「書くのは年にたった一度でいい」ということと「だれだって年に一度ぐらいは多くの人々と感動や驚き、怒りを共有できるニュースが身の回りで起こるだろう」ということだった。

90人ほどの読者が「参加したい」という意思表示をし、その中から約60人を通信員に「任命」した。一応、通信員規定というものをつくり、公序良俗に反しない限りニュースやコラムを掲載し、メールマガジンで配信するという趣旨だった。

当方の努力も足りなかったのかもしれないが、結局、実際に記事を書いてくれたのは10人内外で、当初の目論見はほぼ「失敗」に終わっている。

萬晩報が通信員制度を始めた理由は、コラムに対して送られてくる読者の多く感想や意見がそれだけで一つの主張を形成していて、新しい日本を担う「言論」になりうると判断したからだった。地方の時代といわれて久しいが、問題はニュースの発信源のほとんどが東京だと言うことである。地方の自治体の新しい試みや企業の研究開発といった情報は都道府県の県境の中に埋没しているのではないかという思いもあった。

徳島県の日亜化学工業で青色ダイオードを発明した中村修二氏のことは、日本のどこのメディアも全国ニュースにしなかった。学者も役人も企業家もだれもその先進性に注目しなかったから、メディアだけの責任とはいえないが、寂しいのはニューヨークタイムズが世界に報じて初めて、中村という技術者の存在を日本人が知ったことである。

北東アジアや環日本海経済のニュースもまた、地域に埋もれたままである。ロシア沿海州のポシェットと秋田とを結ぶ定期航路が生まれたことを秋田以外でどれほどの日本人が知っているだろうか。

東京という物差しでみれば、地方のニュースはほとんどが「ベタ記事」に終わる。東京の関心事と地方の関心事には相当に隔たりがあるからだ。所得格差はもちろんあり、自然環境や気候もそれぞれ違うはずだ。その違いをもとにした思考や行動形態も同じでないのに、それぞれを東京の物差しで同じように推し量っていては面白くも可笑しくもない。

インターネットの最大の武器は個人レベルでの情報発信を可能にしたことだ。マスメディアの記者は社会を外側からみて記事を書くことを生業としている。その生業を25年間続けてきて思いを強くするのは、組織や地域の中で日々、当たり前と思っていることが外側の人間からすると驚きであったり、感動を生んだりするということである。

萬晩報も5年目に入ったが、韓国のネット通信社の発展ぶりに接し、いま一度尻にムチを打ってがんばりたいと思う。萬晩報はいつでも投稿を歓迎します。