先週、南海の楽園といわれるパラオを訪ねた、戦前は日本の委任統治だった地である。巨大な環礁は帝国海軍の泊地であり、ペリリュー島には太平洋最大の飛行場があった。米軍はレイテ上陸作戦の空爆拠点としてペリリュー飛行場の獲得に狙いを定め、2万8000人の大軍を周囲30キロの小さな島に上陸させ半数近くの命を失った。迎え撃つ中川大佐率いる日本陸軍は1万2000人が玉砕した。戦闘の前に島民を近くのコロールに避難させたのがせめての幸いだった。
 東京から3500キロ離れたこの地は日本だったのである。スペインが領有した地をドイツが奪い、日本が領有したという経緯があるが、「石器時代に近い」生活をしていた。パラオ博物館には「パラオは100年で原始時代から原子時代に変わった」と日本語で説明があり、納得した。
 この地は確かに列強に翻弄されたのだが、200年の西洋支配の間、一発の鉄砲が撃たれたわけではなかった。表現は難しいが闘いなくして、三つの国が次々と領有した。しかし、日米の対決によって、ペリュリューのジャングルは艦砲射撃で丸裸となり、日本の南洋庁のあったコロールの街も米軍の空爆で焼かれた。日本の支配下でようやく日本語をひらがなを習得した多くの島民は今度はアルファベットと英語を学ばなければ生きていけなくなった。軍政を含め、ほぼ50年米国の支配下に置かれた。アメリカの対費用支配の拠点となっただけでない。南洋群島の東のマーシャルは水爆の実験場となった。たった2万人足らずの国家ではあるが、パラオは今のアメリカの援助なくして国家が成り立たない。パラオはそんな国家に成り下がった。タロイモと魚の食事が、コメと肉の生活に変貌した。パラオの人が太ったのは戦後のことらしい。写真を見ると戦前のパラオ人は実に精悍である。食生活の変化が人々の体形を180度変えてしまったのだという。