執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

きのうは三篇の心を豊かにしてくれる文章を読んだ。台湾の陳水扁総統による2月11日の「春節談話」、賀川豊彦が昭和25年に月刊「世界国家」に書いた「少年平和読本・侵略者の末路」、そして1日付日経新聞で掲載が始まった経済学者・宇沢弘文氏の「私の履歴書」である。それぞれ一部を紹介して、読者のみなさんと思いを共有したい。

「春節談話」は毎週届く台湾週報に掲載されていた。年少からの自らの苦労を台湾の将来と重ねながら「台湾に時間的余裕はない」と改革への決意を表明したものだ。以下その冒頭である。

大きくなってから、幸せとは家族が共に苦労し、挫折を味わい、それらを共に克服し、そして春節を迎えることであり、失望感とは、この一年に自分は何ができたのだろうかと思い悩むことであると徐々に分かってきました。こうした思いを今年とくに強く感じています。・・・・全文http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/104.html

台湾同胞に語りかける言葉はとても厳しい政争を逝き抜いてきた政治家のものとは思えないほのぼのとした中で格調の高さを感じさせるものだった。

宇沢氏の「私の履歴書」の第一回目はヨーロッパで始まっている自然回復型の公共事業を紹介し、日本の経済学が国民の幸福に役立ってこなかったことの反省から始まる。

私は経済学者として半世紀を生きてきた。そして、本来は人間の幸せに貢献するはずの経済学が、実はマイナスの役割しか果たしてこなかったのではないかと思うに至り、がく然とした。経済学は、人間を考えるところから始めなければいけない。そう確信するようになった。中でも教育は、経済学の重要な対象である。

この中で宇沢氏は教育について「社会共通資本」の大事な要素とし、(1)教育をはじめとする社会制度(2)自然環境(3)道路などの社会基盤の三つの要素のバランスある発展が経済学の目指す方向だと諭してくれる。

明日以降の「私の履歴書」で、昨今の日本の経済的苦境について、経済学者とアナリストたちがさも分かったような議論を展開している様子に苦言を呈してくれるものだと期待している。

賀川豊彦の文章は筆者が最近関わりを持ち始めた財団法人国際平和協会にあった古い雑誌に連載されてあったものだ。もともとこの財団は昭和20年9月、東久邇内閣の下で戦後の困難を生き抜くための精神的柱を模索する目的で創設され、キリスト教徒で社会事業家だった賀川豊彦が請われて初代理事長に就任、毎月発行される雑誌に勢力的に執筆した。

「侵略者の末路」は子供向けに国家の強欲を人間のそれになぞらえたもので、50年以上経った現在でも新鮮な刺激を与えてくれる。

昔ロシアの或る田舎に一人の貧しい百姓が住んでいました。自分の所有地が少ししかないので「もつとたくさんの土地がほしいなあ」と言い暮らしていました。すると或る大地主がそれを聞いて『では、これから馬に乗つて、夜までの間に、ほしいと思う廣さの地面を廻つておいで。そうしたら、その地面をそつくりおまえにあげるから--』といいました。

百姓は大喜びで、さつそく馬に乗って出かけました。百姓は一坪でもよけいに地面をもらおうと思い、できるだけ遠廻りしてかけて行きました。昼が来ましたが、食事をする暇もおしく、先へ先へと進みました。気がつくと、太陽はいつのまにか地平線のかなたに沈もうとしています。けれども、もう少し、もう少しと思って、なお先へと進みました。おなかはペコペコ喉もからからです。日はとつぷりと暮れて道さえわからなくなりました。

そこで百姓はあきらめて、帰途につきました。しかし、馬は疲れているので、いくら鞭を加えても走りません。百姓のように疲れてたおれそうです。けれども今夜中に家に帰りつかなければ、折角、慾張つて廣くしるしをつけて来たその地面ももらえません。それで、息たえだえの中から、鞭を馬にあてて家の方へとかけて行きました。そしてやつと家に帰りついて、やれやれと思うと同時にあまりの疲れのため、百姓の息はたえました。

この慾ばりの百姓は、一体どれほどの地面を大地主から貰つたのでしょうか、彼の得た地面というのは、自分のなきがらを埋める六尺にも足らぬ狭い地面だったのです。

これはトルストイの童話にある有名な話ですが、これに似た事実物語をあなたは聞かなかつたでしょうか。野心満々の政治家や軍人が、領土をひろげ、権力慾を満足させようとして、周囲の弱い国々を侵略し、とうとう精根尽き果てて、一敗地にまみれ、自分のみか、国民全体を塗炭の苦しみに泣かせて、却つて旧来の領土をさえ狭めてしまつたという「イワンの馬鹿」を笑えない実例をあなたは実際に知つているはずです。

世界歴史をひもといて見ても、そこにはたくさんのいわゆる英雄偉傑が、この童話の主人公と同じ運命を辿つているのを知ることができるでしょう。シーザー、ハンニバル、ナポレオン、近くはヒツトラー、ムツソリーニなど、みなそれです。シーザーの如きは、ガリヤを征服したのを手始めに、各地に侵略してローマの版図をひろげ、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いでしたが、ブルタス、カシウスのためにローマの議事堂で刺し殺され、カルタゴのハンニバルも、古来屈指の名将とうたわれましたが、シピオの一戦に破れて国外に追われ、ローマ人に捕らわれるのを怖れて自ら毒を仰いで死にました。さらにナポレオンに至っては、西ヨーロッパをその馬蹄の下に蹂躙しましたが、慾張つてロシアに攻め入ろうとして成功せず、次いで、ウオターローの戦に敗れて世界征服の野望も空しく、セントヘレナの孤島に、配所の月を眺めつつさびしく生涯を終わりました。

こうして、侵略戦争の下手人たちの末路は古来きまっています。そして、この侵略者を出した国家は亡び、その国民は流浪することになるのです。国破れて山河あり、嘗ては世界歴史の上に輝かしい名をとどろかせたが、今はその後さえない国や、名はあつても昔の面影をとどめない国になど、あなたがたはその幾つかを知つているでしょう。ジヨルダンというアメリカの学者は「バビロン、アツシリアが亡び、ギリシヤ、ローマの亡んだのは、全くその国の国民が、戦争好きでこれ等の国の亡国は一つの退縮現象である」といつています。身のほどを考えずに膨れた風船玉がパチンと破裂して、しわくちやなゴムの破片を残すに過ぎないようなものです。全文http://www.yorozubp.com/0203/020303.htm