執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

中国から帰ったばかりの友人に聞いたら、中国語でインフレのことを「通貨膨張」というのだそうだ。モノの値段が上がることをインフレを教えられてきた筆者にとって「エッ」という驚きがあったと同時になるほど本質をついた訳語だなとも思った。

26日に政府が新味のない「総合デフレ対策」を発表し、きょうは日銀の政策委員会・金融決定会合が「金融緩和策」として、日銀による一カ月の国債買い取りを8000億円から1兆円に増やすことを決めた。

理由として、年度末の資金需要期に市場に潤沢に資金を提供することを掲げているが、ここ数年の動きをみてみると政府・与党とマスコミが「公的資金の注入」だとか「デフレ阻止」と騒ぎたてながら、いつものように今回もまた財務省が一番おいしい果実を摘み取ったことになる。

金融不安を解消するために、市場の資金を潤沢にして借り手の不安を解消する必要があるといわれれば、なかなか反論できる人はいまい。だが、多くの企業が過剰設備の削減の真っ最中で本当は資金需要などほとんどない。

借り手である企業側に新たな投資意欲がなく、銀行もできれば危ない企業への融資を引き上げようとしている。つまり銀行と企業ともに「借りたい」「貸したい」という意欲がないような状態で資金を潤沢にすれば、行き場を失った資金が国債に向かうのは自然の理である。

かくして政府は金利上昇の不安もなく12兆円の長期国債を発行できるようになった。

●すでに十二分に膨張している日本の通貨

いま日本で起きているのはまさに日銀券を「刷って」国債を増発するという通貨の膨張なのだ。一部で景気対策として「インフレターゲット論」が喧伝されているが、そんな政策をあえてとらなくとも借金を増やすことによってすでに通貨は十二分に膨張しており、このままではインフレを避ける方が難しいはずだ。

一国が発行できる通貨の発行量はその国が持つ資産なり価値に比例する。持っている資産以上の通貨を発行すればその通貨の価値は暴落するはすである。ここ数年の日本では本来あるべき姿と逆の政策が行われてきた。国の生み出す価値はGDPだが、そのGDPの名目値はここ3年間で約20兆円も減っているのだから、本来は通貨の量は減らなければならない。それなのにこの国では通貨量だけが膨張しているのである。

先日、ある外資系証券アナリストと日本経済の将来について議論をした。二人の認識が一致したのが、まさに「円の下落」と「黙っていても日本にインフレがやって来る」という結論だった。

よく金融は国の経済の血液になぞらえる。体力回復のために新しい血液をどんどん流し込まなければならないと言えば、分かったような気分になる。だが、末端の毛細血管がほとんど機能せず、細胞に血液を送り込めない状態で他でつくった血液をどんどん血管に流し込むとどういうことになるか。想像するだけで恐ろしい。

一昔前、風邪をひいて医者に駆け込むと「安静にして寝ることが大事」といって注射どころか薬さえくれなかったが、いまはそうではない。患者の方も薬をくれないと不安になり、そんな医者がいたら不真面目のレッテルを貼られかねない。

極論だが今の政府の役人にも似たところがある。常に何かしていないと存在価値を問われる。そんな強迫観念がある。アメリカの大統領が来るといえば、経済対策をつくり、主要国首脳会議(サミット)だとえば経済宣言に盛り込む経済再生の処方箋を考える。

いまの日本の経済の症状が風邪程度とは考えていないが、行われている景気論議そのものが政府とマスメディアによるマッチポンプのような気がしてならない。薬も注射も効かなくなった今の日本経済は絶対安静によって気長に体力回復を待つことしか処方がないのかもしれない。