執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

2月17日付朝日新聞朝刊に「群馬県の中に世田谷区?/川場村160キロ越えて合併検討」という記事が出ていた。これこそが本来の市町村合併なのだろうと、目からうろこが出る思いがした。

川場村には行ったこともないが、小学生の三男が昨夏、林間学校に行き楽しい思い出をつくってきたからきっといいところなのだろうと想像している。世田谷区と川場村とは20年前に共同でつくった保養・研修施設の拠点に毎年、小学5年生が相互訪問し、すでに100万人の区民が宿泊しているそうだから、川場村が全国的に知名度が低くくとも世田谷区民の多くにとってはとても近い存在なのだ。

合併には東京都と群馬県の議会の議決が必要ということでハードルは低くはない。川場村自身、近隣の沼田市などの合併話が浮上しているが、横坂太一村長は「近いから合併するという考えだけでいいのか」と世田谷区との合併に前向きなのだそうだ。

何がいいかといえば、まず第一に川場村にとっては財政的に都市部との格差是正が一挙に進むと考えられ、世田谷区にとっては自然が増えるということである。将来的には都会の住民にとって農産物の安定的確保だとか休暇圏や農村定住化構想といったこれまで不可能だった発展発想にもつながる可能性が高い。

世田谷区にも川場村にも発想の転換をもたらすのがなによりだ。

●地名は歴史であり、苗字の由来でもある

現在、全国的に自治体の合併が進んでいる。合併を進めると交付金が増えるというのが動機だ。そもそも3000を超える市町村が狭い国土に存在することが無駄だというお上の発想がある。

はたして自治体が多く存在するのは意味のないことなのだろうか。過去の日本では合併で数多くの意味のない地名を誕生させてきた。筆者の郷里の高知県では土佐市、土佐町、中土佐村、土佐山村、西土佐村と土佐の名のつく市町村が5つもある。南国市、大正村などというものつまらないネーミングだ。

他の都道府県にも挙げれば切りがないほど不可解な地名が多く誕生した。その二の舞が平成時代にも起きようとしているのだ。

かつて住所地番を大幅に簡略した「改革」もあった。外から来た人には分かりやすくみえるが、住んでいる人はしばらくとまどった。改革を拒否したのは京都市ぐらいであろうか。住んでみるとあのややこしい京都市の住所は理路整然としていて分かりいいのである。道を基準に住所を表示する方法はけっこうなグローバル・スタンダードなのだ。

地名は歴史そのものだ。苗字の発生源でもある。京都市に二年住んで分かったことは室町時代という時代区分や歴代天皇の呼称がほとんど地名や道に由来していることである。

これまで戦争や為政者の交代で地名が変わることはあったが、平和時に地名変更や市町村の合併など聞いたこともない。この国の役人たちは数十年ごとに地名を変えるのを趣味としているのだろうか。まさか自立を目指す傾向が強い自治体政治をもう一度中央に向けるために交付金増額などというアメをちらつかせているのではあるまい。

ただ役人というものはとかく仕事をつくりたがる習性がある。暇にしていると食い扶持がなくなるのを心配して市町村合併の旗振りをしているのだとしたらとんでもないことだ。金融危機、成長力の減退など今の日本にはそんな役人に付き合っている暇はないのだ。 お上の発想を覆し、日本に新たな転換を促すために、川場村と世田谷区にはせひ奮起してもらいたい。

【追記】その後、万場町は2002年4月、中里町と合併して神流町となることが決まった。