執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

先週、円安が一気に進み、3年ぶりに1ドル=130円に近付いている。市場ではIMFが円安を容認し、元財務官が円安を示唆したとはやしてているが、20日に発表された2002年度予算の財務省原案で100兆円を超える国債発行を余儀なくされることを嫌気したことは間違いない。

1998年の円安は8月にロシアがルーブルを大幅に切り下げ、ロシア国債が暴落したことがきっかけだった。国債金融資本がロシア国債暴落の穴埋めのために円建て資産を売り、円安が加速した。その後、榊原財務官率いる大蔵省が円買い介入を実施し、円は瞬く間に100円台の円高にオーバーシュートした。

具体的に言えば、8月11日に147円まで売られた円は2カ月かかって130円台前半まで戻した。事件はその時起きた。10月7日に130円だった円が2日間で115円まで急騰したのだ。理由は分からない。当時、日本は銀行の不良債権問題が本格化し、国会で金融再生関連法案が成立して、日本長期信用銀行と日本債券信用銀行が相次いで国有化された。円が買われる理由はまったくなかったはずだった。

筆者は当時、引き金は何であれ、日本経済を立て直すには「円安」しかないと考えていた。せっかく外部要因で為替水準の揺り戻しがあったのに榊原財務官が円買い介入に踏み切ったのが不可解だった。そもそも95年の1ドル=80円台という超円高から強引な円安誘導を行った張本人である。

当時の橋本内閣や小渕内閣が声高に言っていたのは「日本が世界的な金融不安の引き金になってはならない」ということだった。97年のアジア通貨危機の直後だっただけに、心情的には分からなかったわけではなかった。日本経済尾規模からみて、大企業が二つ、三つつぶれたところで大したことにはならないと思っていた。事実、そごうが破たんした時もマイカルが倒産した時も何も起こらなかった。日本の銀行への相次ぐ公的支援の際に理屈とした「国際的な金融不安阻止」はこけおどしにしか過ぎなかったのだ。

もちろん、円安によって日本企業の海外資産が目減りして不良債権を急増することも不安視されたが、それならば超円高をそのまま維持しておけばよかったのだ。円高が維持されるかぎり日本から資本の逃避は起きない。国際的なマネーを日本に引きつけておくことも不可能ではなかったかもしれないのだ。日本の国際経済からの「退場」がまさに通貨安から始まったことは疑いもない。

実は日本の金融機関の不良債権問題は榊原財務官らによる強引な円安誘導以降、急速に悪化し、一方で構造改革も中途半端なままとん挫してしまうのだ。経済を結果論で語ることはできないが、少なくとも多くの企業経営者たちが円高で悲鳴を上げるのではなく、円高の要因となる構造問題にようやく本格的に取り組む覚悟ができた段階になって、今度は為替の極端な乱気流に巻き込まれることになったのである。

時代環境はすっかり変わって、日本経済は不良債権問題に加えて財政事情の悪化という難問をも抱え込む身となった。今回の円安は、「円安期待」というよりも「国民的な失望感」の広がりの中で進んでいる出来事であることを明記しておきたい。日本経済をこのまま放置しておくとやがて国民が自国の通貨を信用しなくなる時代がやってくる。