高知といえば海と坂本龍馬。最近では四万十川、ホエール・ウオッチングが加わったが、自然と豪快さだけがことさら強調されてきたように思う。高知市五台山に2年前できた牧野富太郎記念館を起点に、牧野博士が生まれた佐川町や、植物採取した越知町の横倉山を歩いた。

 牧野富太郎記念館は不思議な空間である。
 20ヘクタールの植物園に配置された木造の記念館は建築家、内藤弘氏が設計。山頂の起伏に「沿わす」ように建てられ、一本ずつ違った長さに削られた400本の梁(はり)が醸し出す造形は、他にはなかなか見られない。
 植物を愛する人は、世界的な植物学者、故牧野富太郎(1862‐1957年)の集めた標本を楽しんだり、四季折々の草花を栽培する野草園を散策すればいい。絵の好きな人は、細密画とも呼べる牧野画伯の植物画を楽しめる。展示は牧野博士の個人史にとどまらず、幕末から明治にかけての日本と土佐が凝縮されているから、植物に興味のない人も十分堪能できる。
 館内の文庫には牧野博士の5万8000点におよぶ蔵書や手紙類があり、特に江戸期の内外の本草関係書は学術的にも貴重なコレクションとなっている。
 彼の伝記を書いた渋谷章淑徳短期大学教授は、ここを「植物のテーマパーク」と呼んだが、それだけではとらえきれない。庭園に張り出したテラスでお茶を楽しんでいた初老の女性は「牧野富太郎とか土佐とかを包み込むような雰囲気なのよ」と評した。

 佐川町は、かつては土佐藩山内家の筆頭家老職を務めた深尾家一万石の城下町だった。土居(どい)と呼ばれる館を中心に街並みが配置される。
 土居が残っていないのは残念だが、牧野博士の生家の造り酒屋は現在、「司牡丹」の土壁の酒蔵にそのたたずまいを残す。
 名教館は当時、西日本でも指折りの名門校で、京都などから招いた儒学者による高度な学問が行われ、牧野少年もここで漢学の基礎を積んだという。
 牧野少年が遊び場とした青龍寺の庭園をめでながら、田中光顕など多くの有為な人材が土佐の山間から生まれた理由を考えていた。

 彼が植物学の素養をはぐくんだ隣町の越知町にある「横倉山自然の森博物館」も訪れたい。横倉山は、今では県民のハイキング先として有名だが、原生林には覇日本でも珍しい植物が多く存在し、牧野博士が命名した25種の草花に出会えるかもしれない。(2001年12月3日、共同通信文化部原稿、伴武澄)