ビッグ・リンカー達の宴(うたげ)-4
執筆者:園田 義明【萬晩報通信員】
■ワッサースタイン・ラザードCEO誕生
11月15日、独ドレスナー銀行傘下の投資銀行部門ドレスナー・クラインオート・ワッサースタイン(DKW)のブルース・ワッサースタイン氏は、D
KWの会長を辞任し、同業である米ラザードのCEO(最高経営責任者)に就任することが決まる。
ワッサースタイン氏は、自らが率いた投資銀行ワッサースタイン・ペレラを、昨年9月にドレスナーに身売りし、ドレスナーの投資銀行部門「ドレスナー・クラインオート・ワッサースタイン」の会長に就任する。同部門を分離・独立させたうえで、銀行のバランスシートと専門性を融合したディール・メーカーとして再上場を予定していたが、ドレスナー銀行自体が、今年初めに独保険最大手のアリアンツの傘下に入ったことでこの計画は中止となった。
ワッサースタイン氏は、89年に旧ファースト・ボストン時代の同僚、ジョー・ペレラ氏(現モルガン・スタンレー)とM&A専門の投資銀行ワッサース
タイン・ペレラを設立。1980年代のM&A市場を席けんしたディール・メーカーである。KKRのRJRナビスコ買収やテキサコのゲッティ・オイル買
収、AOLとタイム・ワーナーの合併やモルガン・スタンレーとディーン・ウィッターの合併などで剛腕を発揮する。顧客が有利になるように買収金額をつ
り上げる交渉術にたけていたことから、「ビット・エム・アップ・ブルース(価額をつり上げるブルース)」の異名をとった。
移籍先の米ラザードは、M&Aの仲介を収益の柱とする知る人ぞ知る老舗の名門投資銀行である。1848年設立時のラザード創業者の家系で、非公開で
ある同社の筆頭株主でもあるマイケル・デービッドーワイル会長は、「過去15年にわたって折に触れてワッサースタイン氏を誘ってきた」と語る。
ラザードはリーマン・ブラザーズと進めていた合併交渉が同時多発テロでご破算になったばかりであるが、この合併を推進していた前CEOのウイリアム
・ルーミス氏を一年もたたないうちに更迭した経緯から、欧米メディアは、個性の強い二人の組み合わせを疑問視する記事を相次いで掲載する。しかし、少
し前にはウイリアム・ルーミス氏の実力を疑問視していたこともある。
いずれにせよ9月11日の同時多発テロが世界的な企業再編を加速化させている。再編を主導していくのは彼らである。日本人の多くは、M&Aを単なる
企業の売買として別世界の出来事のように眺めるだけだが、これは一面に過ぎない。多くのM&Aは、政治的な意図を繁栄した中長期戦略に基づくものであ
り、世界的な人脈と高度なスキルが必要とされる。特にラザードは、欧州貴族達の戦略を可憐に演出する実行部隊としての側面がある。そしてその長い歴史
にはビッグ・リンカーが数多く存在する。
ラザードの歴史を振り返る前に今年の世界のM&Aの仲介ランキングを見ておこう。残念ながらここに日本企業の名前はない。
■今年の世界のM&Aの仲介ランキング 金額(億ドル)件数
1 ゴールドマン・サックス 4,520 262
2 メリルリンチ 3,563 179
3 クレディ・スイス・ファースト・ボストン 3,213 344
4 モルガン・スタンレー 3,102 215
5 JPモルガン・チェース 2,752 284
6 シティグループ/ソロモン・スミスバーニー 1,851 240
7 UBSウォーバーグ 1,808 191
8 ドイチェ・バンク 1,623 183
9 ドレスナー・クラインオート・ワッサースタイン 1,172 67
10 リーマン・ブラザーズ 1,028 107
11 ロスチャイルド 871 119
12 ラザード 754 112
13 クアドラングル・グループ 579 2
14 ベア・スターンズ 557 57
15 グリーンヒル 363 15
(注)2001年1月から9月末『※トムソン・ファイナンシャル・
セキュリティーズ・データ』調べ(日経金融新聞より)
■ラザール3兄弟
ラザードの起源は1848年にさかのぼる。フランス人の3人兄弟、アレクサンドル、シモン、エリーの三人のフランス人がアメリカへ移住し、ニューオ
リンズに設立した。そして1852年にパリ事務所としてラザール・フレール、1877年にロンドン事務所としてラザード・ブラザーズを設立し、彼らの従兄弟にあたるアレクサンダーが1880年にニューヨーク事務所としてラザード・フレールを設立する。
これまでパリ、ロンドン、ニューヨークの三つのラザードがひとつのパートナーシップのもとに別会社として運営されてきたが、昨年3月に3社を統合し
グローバル戦略強化に乗り出している。現在全世界で20オフィス、約2600人の従業員を抱えている。過去大きな事件が起こるたびに彼らは欧州と北米
を股にかけて世界を動かしてきた。歴代のビッグ・リンカーを紹介していこう。
■ラザードとキャサリン・グラハムとマイヤー家
日本でも新聞各社が一斉に報じたが、今年7月17日「世界で最も影響力のある女性」と言われたワシントンポストのキャサリン・グラハム最高経営会議
議長が亡くなった。63年、夫で社主だったフィリップ・グラハム氏がうつ病で自殺した後、46歳で新聞経営を引き継ぎ、地方紙に過ぎなかった同紙をア
メリカを代表する最有力紙の一つに育て上げた。特に70年代、ベトナム戦争をめぐる米国防総省機密文書を掲載し、ウォーターゲート事件の調査報道で、
政府と対立しながら言論の自由を守り抜いたことは有名である。
キャサリン・グラハムの本名はキャサリン・マイヤーであり、フランスのアルザス・ロレーヌ地方に何世代も続く著名なユダヤ系一族出身である。そして、ラザードグループとの関係は、彼女の祖父、マルク・ユージン・マイヤーから始まる。
マルク・ユージン・マイヤーは、従兄弟に当たるラザードのアレクサンドルを頼って1859年にアメリカに渡り、ニューヨークのラザード・フレールの
ゼネラル・マネージャーを務める。
彼の息子、すなわちキャサリン・グラハムの父親であるユージン・アイザック・マイヤーもラザード・フレールに入社するが、官僚主義に失望してすぐに
退社、新たにユージン・マイヤー・アンド・カンパニーを設立する。ウォール街で人脈を広げ、1913年には、ニューヨーク証券取引所の理事に選任され、
1920年には化学者ウィリアム・ニコルスと共に※アライド・ケミカル・アンド・ダイ・コーポレーションを設立し大成功をおさめる。また政府の戦時軍
需品・財政委員会、戦争産業委員会のポストにも起用され、1930年にはFRB(連邦準備制度理事会)の理事に就任、1931年には再建金融公社の会
長に就く。そして1946年には初代世界銀行総裁に任命される。当時の金融界の大物である。
このユージン・アイザック・マイヤーがワシントン・ポストを82万5000ドルで買収したのが1933年である。この時に金融家として軍事産業とメ
ディアと政治とをコントロールすることに成功したのである。また、彼をサポートしていたのは紛れもなくラザードグループであり、キャサリン・グラハム
を陰で支えていたのも金融界のピカソと言われたラザードのアンドレ・マイヤーであった。(つづく)