執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

「NTT株の売却益ってむかし景気対策で使っちゃったんじゃなかたっけ」

「俺もそう思う。この公共事業は1987年から始まって90年代前半に底を突いているはずなのに」

「そうそう。思い出した。僕が大蔵省で予算を担当した時、名前はNTTがついていたけど本当は国債を発行して財源を賄っていたんだ」

第二次補正予算の財源として2兆5000億円のNTT株式売却益を公共事業に利用することが突然決まった。NTT株式の売却益はそもそも国債の償還財源として位置付けられているはずなのにと、公共事業として使っていいものなのか。国民の多くは騙されたような気分になっているのではないだろうか。記者仲間でも疑心暗鬼なのである。

●宮沢蔵相の錬金術

NTT株式の売却益を利用した公共事業は87年度の補正予算で突然出てきた。確か日経新聞の特ダネだったように覚えている。当時の日本経済はプラザ合意以降の急激な円高によってかつてない景気低迷を迎えていたが、景気対策を打とうにも財源がなかった。国民に「増税なき財政再建路線」を約束した土光臨調の下で歳出は厳しく制限されていた。

ある意味で財政の規律というものが自民党にもあった。160兆円という国債発行残高をどう減らすかが国民的課題だったのである。一般会計予算は一般経費はマイナス5%のシーリングがかぶせられ、公共事業費は伸び率ゼロで6兆円を超えることはなかった。だから当初予算で国債の発行はたった6兆円内外だった。ちなみに小泉内閣の公約は30兆円である。

そんな時に大蔵省はNTT株式を一次流用するというアイデアをひねり出した。本来、国債の償還財源と決められていたNTT株式の売却益はその時から、法律改正によって一時的に公共事業の財源として流用できるようになった。宮沢蔵相(当時)は「5年とか7年とか借りるだけ。すごいアイデアだ」と絶賛した。政府は「財源が続く限り継続する」と約束し、まさに「宮沢蔵相の錬金術」のように受け止められた。

正式には「NTT株式売却益を活用した無利子融資制度」として87年度補正予算で4500億円が計上され、翌88年度の当初予算から1兆3000億円が計上された。筆者は日本の財政が規律を失ったのはまさにこの「NTT公共事業」が登場してからのことだと思っている。その後、景気が回復基調に乗ってからもこの錬金術をやめることはなく、つい最近まで続いていた。

●またしても大蔵省の禁じ手

NTTの株式売却は95年のNTT民営化に基づく措置で政府の持ち株の3分の2を放出することが決まった。87年2月の売却で2兆3000億円。97年10月に約5兆円。88年10月2兆8500億円。NTT株は一時300万円を超えた後100万円台に急落するなど高値圏で乱高下したため売却は途中で頓挫したものの、総計10兆1566億円というとてつもない売却益が生まれていた。

景気回復した後にこの無利子融資制度を止めていれば、日本経済を救った救世主的存在として財政史に名を残したかも知れない

問題はいったん計上した予算は減額できないという日本の予算制度にあった。止めるどころかバブルに向かって日本経済がブレーキを失った状態でも約10兆円のNTT株式の売却益を活用した公共事業は続き、7年後の91年度でついに財源が底を突いた。

92年度は無利子融資制度を止める二度目のチャンスだったが、当時の日本経済はバブル崩壊と二度目の急激な円高期に突入しており再び大規模な財政出動が求められる場面に直面していた。

なんと財源を失った「NTT」の名を冠した公共事業は国債を発行して続けられた。

大蔵省が監修して毎年発行される「日本の財政」の「社会資本の整備」の項目に(注)として「NTT株式をめぐる市場環境等からその財源に確保が極めて困難な状況にあったためNTT・Bタイプ事業の大半に一般財源(建設公債)を充当することにより、その事業を実質的に確保した」と淡々と記載してある。(事業の詳細については次回報告する)

この摩訶不思議な予算に対してマスコミも野党も糾弾しなかった。政界は自民党の瓦解が進み、政権交代が必至の情勢で国民の関心はほとんど財政には向かなかった。大蔵省は国民の関心の薄さをいいことにまたしても禁じ手を犯していたのだ。(続)