アジア色を強める土佐のよさこい祭り
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
ことしも「よさこい祭り」を見に帰省、一昨夜から始まった「よさこい踊り」に浮かれている。「よさこい踊り」は一時、サンバとロック調に席巻されたが、いまや沖縄や中国などアジア色を年々強め、一方で正調「よさこい踊り」も復調しつつある。
人口30万人の高知市に153チーム、1万7000人の踊り子が繰り出す様はもはや「ストリートディスコ」である。もちろん日本全国から踊り子隊はやって来るが、市民の20人に1人が朝から晩まで踊っている姿を想像してほしい。これが一つの音楽で乱舞すれば狂気だが、150通りの衣装と音楽と振り付けが乱舞するからパワフルだ。
地元の高知放送は2日にわたり追手筋競演場でのよさこい踊りを生中継し、高知新聞はよさこい踊りを中心に紙面が作られる。観光客でも即席に参加できる「市民憲章」というチームは1000人内外の踊り子を集めた。ここ数日に高知市には景気も靖国もない。
153の踊り子隊は高知城を中心に東西4キロに展開する10カ所の競演場では必ず踊らなければいけないが、日も暮れると大音響を発する「地方車」(じかたしゃ)を先頭に踊り子隊が繁華街に繰り出す。踊り子隊が最も自由に楽しく興奮する時だ。
昭和29年に始まった「よさこい祭り」は徳島の「阿波踊り」をまねたものだった。商工会議所の観光部会の発案で、高知の著名な作曲家、武政英策氏に作曲を依頼、日本舞踊五流派の師匠連によって踊りの原型が生まれた。カチャカチャ音の出る鳴子はもともとは野良でスズメ追いに使われた和風カスタネットである。鳴子を持ち、「ヨッチョレ、ヨッチョレ」の掛け声があれば、あとは自由自在。独自の振り付けと音楽、そして思い思いの衣装が新しい形の夏祭りを生み出した。
たまたま実家で「今日に生きる」という古い本を見つけた。前の高知商工会議所会頭の故西山利平氏が思い出をつづった本で、「副会頭時代の最も深い思い出」として「よさこい祭り」の創設を挙げている。全国に知名度を高めるために「踊りを一つの型に統一すべきだ」という意見が出た時、西山氏らが「ヨッチョレ、ヨッチョレの歌と鳴子のリズムの基本さえ守れば、踊りの振り付けが時代とともに変わるのは構わない」と各チームの自主性に任せる方針を決めたのだという。
この時、よさこい踊りが一つの型にはまっていたら、札幌市での「よさこいソーラン」も生まれなかっただろうし、その後の全国数十カ所で始まった新しい「よさこい」は生まれなかっただろう。
土佐は幕末に坂本竜馬ら多くの志士を生み、明治の自由民権運動を生み出した。戦後は高校野球や相撲で多くのスポーツマンを送り出した。最近では人材輩出の面でほかの道府県に後れを取っている。よさこいパワーが単なる祭りに終わらずに人のネットワークを広げるパワーに育ってほしい。
ことしのよさこいのハイライトは日韓学生チームの参加だった。高知女子大生70人と韓国湖南大生30人の合同チームは「教科書問題でも友情は全く動じていない」と若さあふれる踊りを披露して観客の声援を受けた。
1999年08月02日 いま自在に進化を続ける高知のよさこい踊り