執筆者:中野 有【米東西センター北東アジア経済フォーラム上級研究員】

世界60億の人口の半分は、毎日1人当たり2ドル以下の生活を強いられている。アフリカやアジアの貧困地域で見たものは、水道や電気といったインフラの基盤が整備されていない所でさえ、たくましく生活する住民の姿であった。もしこの地域に生まれたならば、教育の機会が与えられず、他の地域や世界を見ることなしに一生を終え、貧困からの脱出は奇跡が起こらない限り不可能だろう。村落においては所得がいくら低くても農産物や自然の恵みのおかげで貧困の悲惨さはそれほど感ぜられない。一方、中途半端な開発の犠牲になった都市部の貧民街の生活は惨憺たるものである。
今年のG8サミットにおいて貧困撲滅についての議論がなされた。ブッシュ大統領がG8直前の世界銀行の会合で行った講演で、米国は貧困撲滅のための無償援助を大幅に増やすとの考えを表明した。このように米国がかってない程の寛大な開発援助政策を打ち出した背景には、ブッシュ政権のミサイル防衛構想や世界の潮流に反する米国の地球環境問題への取り組みが影響している。換言すれば米国の孤立化を避けるために途上国への寛大な援助政策がとられたと推測できる。
慨すれば、ヨーロッパ型の援助は旧植民地との関連があり、米国の援助はイデオロギーとのつながりがあり、日本の援助は低利の融資によるインフラ整備、並びに民間企業と結びついた援助という特徴がある。この様に援助の形態は多かれ少なかれ援助国の国益と関連しているが、特に冷戦後は地球環境問題、人口問題など先進国と途上国の相互依存に関わる「地球益」のための援助が増えている。

日本のODA(政府開発援助)の額は世界一である。世界一の借金政府日本のODAは、他の予算との横並びで約10%カットされるという。軍事力で世界の安定と平和に貢献するとの考えがない日本は、ODAこそ日本外交の基軸である。金銭的貢献で湾岸戦争等の難局に対処してきた日本が、今後どのような「メリハリの利いたODA」、即ち「戦略的ODA」を有効に使うのか。

日本のODAはあまりにも複雑で透明性に欠けているように思われる。日本の国益にとって重要な意味を持つODAに関して、もっと国民が身近に感じることができるように簡潔に説明する必要があるのではないだろうか。加えて、被援助国の実施機関の理解のみならず、草の根レベルの人々にODAが浸透し、日本の顔が見える援助が不可欠である。そのためにも、シンプルでかつ一般庶民が理解できる開発援助のあり方について考えなければいけない。

歴史が示すように、世の中を動かす思想や政策には、「明確」「簡潔」「目的」の3点が備わっている。では、それをODAに適応すればどうなるのか。

1.現場主義、住民参加型、草の根レベルで、しかも生活水準向上に重点をおいた開発援助を推進する。きめ細かな活動を効率的に行うためにNGOやNPOとの連携を重視する。

2.「魚を与えるのではなく魚の釣り方を教える」という持続可能な援助、即ち技術移転や人材育成に焦点をあてる。

3.日本のODAが世界平和、地球益、紛争予防、途上国の発展に貢献しているとの明確な哲学を持つ。軍事でなく経済・文化交流に直結するODAを日本外交の要として、また日本の顔として示すことが重要である。

日本は戦後の復興期に世界銀行の支援で名神高速や新幹線等のインフラ整備を行ってきた。豊かになった日本は途上国への支援を行い、日本のODAは、世界一となった。不況が続く日本は、ODA内容の量から質への転換が問われている。日本が困った時には、他国の支援を受けることになろう。援助は「持ちつ持たれつ」で相互依存的である。やはり、ODAは保険のようなものであると同時に、日本の国益のみならず地球益のために不可欠であるだろう。

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