執筆者:文 彬【中国情報局】

拙稿、「中国のシンドラー・何鳳山」URLが発表してから、多数の読者からメールを戴きました。私の知らない情報も教えてくださり、たいへん勉強になりました。その一部をコメントを交えて紹介させていただきます。今度ともご指導のほど宜しくお願いします。

【K・T様】「中国のシンドラー・何鳳山」を拝見しました。私は去年まで杉原千畝の出生地である岐阜県の近くにおり、杉原氏の話は時折聞いておりましたが、何氏のことは耳にすることがありませんでした。更に文氏のことを書物などで確認し、自らの考えを深めていきたいと考えています。

【U・I様】何鳳山に関するコラム、大変感動的でした。文さんのコラムを読まなければ、ずっと知らないままでした。いつも大変勉強になります。勉強だ

けでなく、文さんのコラムを読むといつも爽やかな気分になったり、心が温かくなったり・・・。これからも、楽しみにしています。

■文彬のコメント:何時もU・I様からお褒めの言葉を頂き恐縮ですが、大きな励ましになっております。

【M・K様】「萬晩報」 中国のシンドラー・何鳳山での件で、主題ではないので恐縮ですが文さんの文に「・・・杉原千畝は戦後日本に戻ってまもなく『リトアニアでの行動』を理由に外務省から免官されてから・・・」とありますが、外交評論家の加瀬英明氏が、今年の2月1日発行の漁火新聞「ユダヤ難民救った日本、立派だったのは杉原氏だけではない」の中で、杉原千畝氏に触れ、それによると、

「杉原氏が、本省の訓令に違反して査証を発給した為に処分されたと言う事実は、まったくありません。そのような証拠は何一つありませんが、杉原氏がリトアニアのカウナスで、副領事としてユダヤ人難民に査証を発給するにあたって、疑念がある場合にはしばしば事前に本省に許可を求めており、それらの公電の記録は残っています」

「また、カウナスを離れた昭和19年に杉原氏は勲五等瑞宝章を授けられています。もし、杉原氏がユダヤ人難民に査証を発給した為に処分を受けていたとしたら、叙勲の栄誉に預かる事はありえない事です」

「杉原氏が、ユダヤ人難民に査証を発給した為に、終戦後、外務省を懲罰的に罷免されたと言う話も事実ではありません。外務省は終戦後、当然の事でしたが、機能が大きく縮小されてしまいましたので、人員整理を行い、多数の職員が依願退職の形をとって、外務省を去っていきました。この結果、外務省定員は昭和21年に2260人だったのが、翌年には1563人まで減りました。杉原氏もその中の一人にすぎません」

杉原氏は退職後の昭和22年6月付で、岡崎勝男外務次官から懇切きわまる書簡を受け取ってい

ます。もし、杉原氏が査証を乱発した為に罷免されたとすれば、外務次官が礼を尽くした書簡を出す事はありえないことです」(後の文略)

と、あります。これらからすると、「リトアニアでの行動」を理由に外務省から免官されてはいない様ですが、どうなのでしょうか?

■文彬のコメント:拙稿「中国のシンドラー・何鳳山」の中で杉原氏に触れた部分の根拠は、以前見た日本テレビの「知ってるつもり?」と今までに読んだ幾つかの記事によるものです。記事の出所は忘れましたが、ネットで検索してみたら、次のようなページがありました。

また、杉原氏のユダヤ人救出は、外務省の命令に従ったもの、いやそうではない、など、ネットでの情報は錯綜しています。また、国会答弁の時も野党と外務省の意見は真っ向から対立していたようです。但し、平成3年10月3日、鈴木宗男外務政務次官が、杉原幸子夫人を外務省飯倉公館に招いて謝罪したといいます。

ついでながら、前日図書館で立ち読みした『昭和情報秘史』(香取俊介著・ふたばらいふ新書)のなかで、偶然杉原氏を語る一節を読んで驚いたことがありました。

免官されNHK外報部に転職した杉原氏はそこでリトアニア時代の知り合いと同じ建物のなかで仕事をするようになりましたが、杉原氏は後ろめたいことでもあるかのようにいつも知り合いから逃げていました。そしてその知り合いは杉原氏が人間として失格だというようなことも話したといいます。理由について説明されていないため、知る由もありませんが、何方が状況を提供していただければ幸いに思います。

ですが、完璧な人間はこの世にいません。すべての人から好かれることもあり得ないことです。ただ、杉原千畝のおかげで多くのユダヤ人の命が救われたことだけは事実です。杉原氏のこのような正義の行動に対して敬意を表わさなければならないと思います。

【H.S様】ユダヤ人をいろいろな手段で虐殺の場から救い出した話ほど、20世紀の人類の姿の裏表を映し出している事件はありません。同じ人類が虐殺と救出をしているわけですから。

ところでユダヤ人を救出したときの中国大使は、後日中共と呼ばれた中国の大使ではなく、中華民国大使のことですが、文様も文章のはじめでは民国政府といいながら、いつの間にか中国と言い換えております。確かにその後中華人民共和国が、いわゆる中国と呼ばれるようになりましたが、それ以前の民国政府とは全く異なった性格の国だと断言できます。

おそらく鳳山さんはその後も民国外交官として、海外で仕事をなさったのではと思いますが、如何でしょうか。

私はこれまでに中華人民共和国の何方かが、そのようなことをなさった話を、残念ながらお聞きしたことがありません。私の不勉強をお許しい頂きますとともに、もしそのような例がありましたら、ご教授頂ければ幸甚でございます。

■文彬のコメント: タイトルが「中国の.....」なのに、文中では「国民政府」と言い換えたことについて、少し説明させていただきます。日本では、普通大陸のことを「中国」、台湾のことを「台湾」と言っていますが、台湾と中国はみな自分のことを「中国」と言っています(台湾独立を主張している人々は別ですが)。そのため、「二つの中国」という概念も出てきたわけです。

また、中華民国は台湾のみの代表ではなく、中華人民共和国の勢力範囲を含む中国の代表だと昔も今も中華民国の正式な見解です。

私の「中国」も、台湾と大陸両方を含む概念になっておりますので、コラムのタイトルに「中国」を使わせていただきました。これは「中国人」(台湾人と「大陸人」を含む)の間では共通の認識だと思います。

文中の「国民政府」ですが、これは厳密には「中華民国政府」と呼ぶべきですが、一般的には「国民政府」、あるいは「民国政府」とも呼びます。ちょっと不自然なたとえかも知れませんが、明治政府も日本だと同じように、国民政府も中華民国も、そして中華人民共和国も「中国」であると思っております。

【K.N様】「中国のシンドラー・何鳳山」を拝見しました。「第二次世界大戦で身の危険を顧みずユダヤ人の命を助けた人々のことを「シンドラー」と呼ぶことが普通になっている。」とありますが、満州国の樋口季一郎軍司令官がユダヤ人の命を救った事実が相良俊輔著「流氷の海」光人社に書いてあります。

ユダヤ人の命を救っても、軍人であることで事実は埋もれたままということなのでしょうか。樋口季一郎の名前は、「正義の壁」に刻みこまれているのでしょうか。

■文彬のコメント:その後、K.N様からのメールで分かったのですが、樋口季一郎の名前は、「正義の壁」に刻みこまれているそうです。また、樋口季一郎のことに関するHPを中国情報局の石上さんより教えていただきました。但し、当時ユダヤ人救出に携わった行為は、当時の政府や軍の「組織的な行動」とことに対して反論が多いようです。

【T・S様】大変興味深く読ませていただきました。

いつかはイスラエルやアメリカで開かれているユダヤ博物館等を訪れてみたのですが、ご推薦されるところは何処でしょうか?正義というものに関して昔から興味を持っていて、様々な所で実践されている話を拝聴するととても勇気付けられます。またご投稿よろしくお願いします。

■文彬のコメント:ホロコースト記念館(ユダヤ人虐殺記念館)は日本にもあります。日本初の「ホロコースト記念館」は、福山市の郊外御幸町にあります。ここを訪問すれば、もっと具体的な情報を得られるのではないかと思います。

また、エルサレムのホロコーストも有名ですが、ユダヤ人虐殺地であるヨーロッパ(ドイツ、オーストリアなど)の方がもっとリアルな情報が得られると思われます。